どうも、凡蔵です。(^^/~

今回は、愛用のMF(マニュアル)カメラ「ミノルタX-700」を紹介すると共に
なぜ「ミノルタ」なのか?という事柄について少々。

ワタクシがミノルタカメラを使う理由は大きく分けて二つ。

まず一つめは「祖父の代からミノルタカメラを使用していた」ことです。
祖父のカメラは「セミ・ミノルタ」というスプリングカメラだったそうで、親父が
子供の頃、よく使っているのを見かけたそうです。
スプリングカメラというと、ボディ前面のフタを開くとレンズが「ビックリ箱」の
ようにビロ〜ンと出でくるカメラのことです。中古店でも、たまに見かける
ことがあるので、いつかは購入して使ってやろうと思っているのですが・・
そして、親父のカメラはというと、40年以上前に購入した「ミノルタSR-1」
というカメラです。これは現在も手元にあり、ワタクシもたまに使用します。
ミノルタが、まだ「千代田光学」を名乗り、一眼レフカメラを生産し始めた頃
のカメラです。親父自身はこのカメラを酷使していなかったせいか、状態も
良く、美品です。よく言われる欠点は「露出計がナイ」「重たいボディ」とか
「シャッター音が大きい」などなどですが、こういう「セミ・クラシック」とも
いうべきカメラを使う場合、当然あるべき欠点をもひっくるめて、寛大な心
で使用してあげなければなりません。決して「古い=使えない」ではナイ。
現在のデジタルカメラの「壊れたらオワリ」と違って、全機械式カメラは
メンテさえすれば半永久的に使えるのですから。
じっくり写真を撮る時に、ひっぱり出してきて使います。
「老兵は死なず」といったところでしょうか(^^

そして二つめは、ミノルタが関西のメーカーであるというところ。
現在では本社は大阪に移っていますが、創業は西宮だったということは
あまり知られていない事実です。しかもワタクシの自宅のすぐそばには
ミノルタの資材倉庫が十数年前まで残っていました。(現在はマンション)
昭和3年の会社創業には、ふたりのドイツ人技師が係わっていますが、
その内のひとりウィリー・ハイレマンは退社後も西宮に永住したそうで
親父も、黒のブルドックを連れて近所を散歩しているハイレマン翁をよく
見かけたそうです。このあたりは現在も外国人が多い・・・
他社と違って創業にヨーロッパ人がかんでいるのは、阪神間というモダンな
土壌の成せるワザか?
レンズ名も六甲山からとって「ロッコール・レンズ」!

オブジェ探索ドライブをしていると、路上に急に石像が現れたりします。
(走行中に発見するってコトね^^)
せまい道などは路駐や停車をして、素早く撮って車に戻ります。駐禁コワイ
し、なによりも危ない。鋭い観察眼とフットワークが要求されます(笑)
そんなとき、テキパキと小回りのきくMFカメラが欲しいな〜と思うようになり
購入するにあたって、白羽の矢がたったのが「X-700」でした。

X-700は、1981年発売というからα-SweetUから遡るコト20年前のカメラ
ということになります。
’81というと「なめ猫」ブーム!TVは「ひょうきん族」や「北の国から」が放送
を開始。マンガは「Drスランプ」「うる星やつら」映画は「エレファントマン」!
車はホンダ・シティにトヨタのソアラMZ10型!この年のレコード大賞は
寺尾聰の「ルビーの指輪」だった!
ワタクシはというと、ポートピア博覧会で走り回る幼稚園児でした(^^;
このカメラの驚くべき点は、そんな昔に発売されたコトではなく、’81より
約20年間生産され続けた!ことなのです。

ミノルタのMFカメラは初期の「SRシリーズ」と、電子制御化が進んだ
「Xシリーズ」があります。X-700はシリーズ最終型。いわゆる完成型!
扱いやすいし、デザインもイイ。なによりも「明るく見やすいファインダー!」
これに尽きると思う。まったくムダの無い、良く出来た一眼レフ。
雑誌などでよく言われる「ボディがプラスチック製で玩具っぽい」というのが
あるが、ワタクシに言わせると「そういった質感も含めて扱え!」と言いたい。
それまで金属製だったボディをプラ製に変更することによってコストダウンを
はかり、20年ものロングセラーを成し得たのだから。
X-700は、長年一眼レフを創ってきたミノルタの出した一つの答えだったのであ
る。

さあ、今日はX-700にロッコール40oF2を付けてスナップ写真を撮りに行こ
う(^^

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