DJOとは

本来クラシック音楽を学んでいた大阪音楽大学の学生、講師らが(今考えるとすごいメンバーだったりした)同好会のような形でJAZZを楽しむために週単位でビッグバンドをやっていたのを、のちの初代バンドマスター石床健氏が持ち前の情熱と上級生の権力を最大限に活用して強引に組織化、とりあえずビッグバンドとしてJAZZを本格的にやってみようというリハーサルバンドのような形でスタート。週1,2回の練習(休むとコンパで痛い目に遭う)、大学祭などの本番(バンマスは代々学生自治会のえらいさんになって学祭などはDJOが活躍できるよう政治的権力を手に入れていた!)、恐怖のコンパ(これについて語ることは許されていない・・・)など組織として定着したのちバンド名を付けることとなり顧問である赤松二郎氏の鶴の一声でDJO(DAION JAZZ ORCHESTRA)と命名された。
以降、年1回の定期演奏会を催し大阪音楽大学のJazz科創設に伴いその幕を閉じることとなる。

ちなみにDAIONは大阪音楽大学の略称の大音から出たものである。

これも蛇足であるが当時のメンバーである学生から出たバンド名の案はとても稚拙なもので思い出すだけでも笑ってしまう。