魔法のスニーカー


 かけるは、走るのが大きらい。体育の時間も大きらい。
「ビリッケツ、かける! バカヤロー!」
 リレーの時、みんなのヤジが聞こえた。
 かけるには、去年のにがい思い出が忘れられない。
 運動会なんてこの世の中からなくなってしまえばいいのに。かけるの願いもむなしく、楽しい夏休みが終わると、運動会の季節が、やってきてしまう。
 このところ、元気のないかけるの耳もとで、お父さんがささやいた。
「かける、お父さんが早く走れるヒミツを教えてあげるよ。」
「ほんとにほんと? ほんとに早く走れるの?」
 お父さんは、うれしそうに一足の新品の靴を出してきた。
 横にボタンのついたおかしな靴だ。
「魔法のスニーカーだ。これをはくと風みたいに早く走れるさ。」
「ばっかみたい。ぼく、もうこんなものには、ひっかからないよぉ。」
 かけるは、ほっぺたをパンパンにふくらませた。
「これは、本物なんだよ。」
 お父さんは、大真面目だ。
「ただのおもちゃのボタンがついてるだけなんだろう? ったく、いつまでもガキあつかいするなよな。」
 かけるは、そう言ってボタンを押してみる。
 すると、なんだかスニーカーが、ふわんと軽くなったような気がした。
「ほら、今、スニーカーが、浮き上がったろう?」
「ば、ばかいうなよ。」
 でも、ふわりと軽くなったのは本当だった。
(まさか! そんなわけないよな。)
 かけるは、今すぐ、試してみたくなった。
「まぁ、すぐにウソだってバレるけどさ、一度試してやるよ。」
 かけるは、新品のスニーカーを持って玄関へ向かう。そうしてスニーカーに足を入れた。新品のスニーカーは、するりとかけるの足にくっついたような気がした。
 かけるの耳もとで、お父さんが言った。
「お父さんは小学生の頃クラスで一番早く走れたんだ。かけるはお父さんの子だからな、ぜったいに早く走れるさ。」
「そんな、かんたんじゃあないよ。じゃ、いってきまーす!」
 かけるは、そんなばかげた事など、あるはずがないと思いながらも、早くスニーカーを試してみたくてうずうずしていた。
 気のせいだろうか、公園まで向かう足取りがフワフワとしている。
(ひょっとして、ひょっとすると、これは本物?)
 一歩足を進めるたびに、そんな気がしてならなかった。
 公園に着くと、あたりをよく見わたしてから、おそるおそるスニーカーに付いているボタンを押してみた。
 こんなばかげた姿を友達に見られたら大変だ。あせる気持ちと、ひょっとして本物かも知れないスニーカーへの期待で、手のひらにじっとりと汗をかいてきた。
「よぉおい・・・」
 心の中で、さけぶ。
「ドン!」
 のかけ声で、かけるは走りだした。思いっきり、力一杯走った。
 とびきりに速くなったとは思えないけど、いつもよりは、速く走れた気がした。
(え? もしかして、もしかすると、まじで、本物?)
 かけるは、もう一度試してみた。やっぱり、ほんの少し速く走れたような気がするのだ。
(もう一回、もう一回やってみよう。)
 かけるは、何回も走った。走るたびに、ほんの少し速くなっていくのだ。
 何十回か走ると、日がとっぷりと、暮れてしまった。
(明日、もう一回走ってみよう。まだまだ本物かどうかは、あやしいもんだ。)
 かけるは、まだ走ってみたい気持ちを、押ししずめた。
 日が暮れて、魔法がとけてしまっているのではないかと思うと怖かったのだ。
 たっぷりと走ったのに、ちっとも疲れていなかった。
「ぼくのヒミツの、スニーカー! これさえあれば、一等賞!」
 ふんふんと歌いながら、家に帰る。
「たっだいまぁー!」
「おぅ、なかなかだったろう?」
「まぁね。いいスニーカーだよ。」
 かけるは上きげんだった。
 お父さんが、にやりと笑う。
「なんだよぉ、でも、魔法のスニーカーなんて信じちゃあいないんだからね。」
 かけるは、スニーカーについた土をはらうと、下駄箱の奥にしまった。
 これさえあれば、運動会はこわくない。
 大切な魔法のスニーカーだ。
 次の日、学校から帰ってくると、玄関にランドセルをほり投げて、いちもくさんに公園に向かった。
 まわりを見わたして、スニーカーのボタンを押す。
 力強く、地面をけった。
 スニーカーは軽やかに、かけるの足を大きく前にすすめていく。
「これだ! この感じだ!」
 かけるは走り続けた。
 昨日よりもさらに速くなった気がした。
(明日、もう一度走ってみよう。)
 今の感覚を忘れると、もう速く走れなくなるような気がした。
 それから、かけるは、毎日学校から帰ってくると、公園で走り続けた。
 かけるは、魔法のスニーカーをすっかりと信じていた。でも、信じれば信じるほど不安な気持ちになっていく。魔法が、とけてしまうんじゃあないかと。
 かけるは、ここ1ヶ月、日曜日になると、朝から公園で走っていた。
「今日は、行かないのか?」
 お父さんが、いつまでも家にいるかけるに声をかけた。
「ああ。」
 かけるは、魔法を使いすぎたのではないかと後悔しはじめていた。
「今日は、お父さんと一緒に、競争してみないか?」
「いいけど・・・。」
 気がのらなかったが、家にいても落ち着かない。
 魔法を使うのをやめておけばいいのだ。
 かけるは、普通の靴をはくと、お父さんと公園に向かった。
「お父さんに負けたら、魔法のスニーカーは、返してもらうぞ。」
 お父さんの言葉にかけるは、ぎょっとした。
 しまった! こんな靴では、速くは走れない。
「ずるいよぉ! そんなの聞いてないし、ぼく、今日は魔法のスニーカーじゃあないんだ。勝てっこないさ。」
 かけるは、半べそになった。
「よぉーい、ドン!」
 かけるの言い訳など聞き入れてはもらえなかった。
 もうスタートしてしまったのだ。
 走るしかない。魔法のスニーカーのためには、走るしかない。
 かけるは、夢中で走りながら、いつもの感覚を思い出していた。
 大きく手をふって、前に前に足を踏み出した。
「走れる! いつもと一緒だ!」
 じわりじわりとお父さんの背中に近付いていく。
 もう少し、もう少しでお父さんに追いつける。
 かけるの腕は、大きくゆれる。足もいっそう力強く地面をけった。
「ゴール!」
 お父さんのかけ声がかかった時、わずかにかけるの身体が、お父さんを追いこしていた。
「かけるは、やっぱりお父さんの子だ。」
 お父さんは、頭をなでてくれた。
「ぼく、勝ったの?」
「ああ、お父さんの負けだ。」
「なんで? なんで? 魔法のスニーカーじゃあないのに?」
 かけるには、わけがわからなかった。
「何だ、かけるは、あんなおもちゃを信じていたわけじゃあないよなぁ?」
「えっ、ああ、信じちゃあいないけどさ。お父さんがあんまり真剣に言うもんだからさ、信じたフリしてやったんだよ。」
「スーパーで、大安売りしてたんだよ。軽くて、とても走りやすそうなスニーカーだったからな。安いのに、いいスニーカーだなぁって。だから魔法のスニーカー。」
 かけるは、驚いた。本当に、ただの普通のスニーカーだったのだ。
「でも、よくがんばったな。かける。」
 お父さんは、かけるの肩をたたいて、うれしそうに言った。
 家に帰ると、かけるは、下駄箱の奥にしまってあった、スニーカーを取り出した。
「やっぱり魔法のスニーカーだよ。だって、ぼく走るのが大好きになったんだ。」
 かけるは、スニーカーをそっとなでた。
 運動会の日、魔法のスニーカーをはいて、かけるは、一等賞をもらった。
 かけるは、走るのが大好きだ。
 魔法のスニーカーは、かけるの宝物になった。





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