キャッチアンドキャッチ


 今日も少年は、池に釣り糸をたらしていた。
 小さなおりたたみのイスに、ちょこんとすわり、じーっと、しんけんに浮きをながめている。
 沈丁花のあまずっぱい香りがただようようになってから、少年は毎日のように、池にやってきた。そして、いつも決まった場所にイスをひろげると、しずかに釣り糸をたらす。
 ときどき、浮きが小さく上下に動くが、ひきあげられた糸の先に、何かがかかっていたことは一度もなかった。
 少年は、えさがなくなっているのをたしかめると、ひどくがっかりした顔をして、また糸の先に、小さくちぎったうどんをつけた。
「こんどこそ!」
 少年は、釣り糸をいきおいよく池の中にほりこむ。
「まったく……あいつ、本気で釣る気あるのか?」
 池の中で、うどんにかじりつきながら、カメが言った。
 少年のたらす糸の先には、うどんだけが結び付けられている。あぶない釣り針はついていない。だから、うどんは食べ放題ってわけだ。
 カメは、ついーっと水面から頭を出すと、少年に声をかけてみた。
「やぁ、こんにちは」
「ああ、なんだ、きみか」
 少年は、とくべつおどろいたようすもなく、視線を浮きにもどした。
「おまえ、おどろかないのか?」
 カメは、ゆっくりと少年に近づいていく。
「ああ、カメだってしゃべれるって思ってたから」
 少年は、さらりとこたえると、うどんを小さくちぎって、カメのいる方になげこんだ。
「ところで、何を釣ろうとしてるわけ?」
 カメは、うどんをほおばりながら、浮きに目をやった。
「何って、別に何でもいいんだ」
「でも、それじゃあ、何も釣れないだろ? なんで釣り針をつけてないんだ? 
まぁ、おかげでおれたち、いつもただ食いさせてもらってるんだけどさぁ。
あ……すまんすまん」
「いいんだよ」
 浮きが、小さく上下に動く。
 少年は、にこっと笑うと釣りざおをひきあげた。もちろん、糸の先には、何もいない。
「でも、釣れない釣りなんか楽しくないだろ?」
 カメは、釣り糸にうどんを結ぶ少年の手もとを、じれったい思いでみつめていた。
「だって、けがしたら、かわいそうじゃない」
 少年は、釣り糸を池の中にほりこんだ。
「ぼく、新しい家族がほしいんだ。いつもひとりぼっちだからさ」
 夕焼けのせいだろうか、少年のほほが赤く染まっている。
「新しい家族……」
 カメは、ひとり事のようにつぶやいてみた。
「やっぱり、今日も釣れそうにないな」
 少年は、釣りざおをひきあげ、イスをたたんだ。
「もう帰るのか?」
「うん、これぜんぶあげるよ。じゃあね。また明日」
「また明日……」
 カメは、少年がくれたうどんをかじりながら、しょんぼりと肩をおとした小さな背中を見送っていた。

 次の日、少年は、いつもと同じ場所にイスをひろげ、釣り糸をたらしていた。
「あのカメ、今日は来ないのかなぁ?」
 少年は、ちょっとがっかりして、うどんを細かくちぎっては、池になげこんでいた。
 すると、浮きが、大きく中にしずんで、さおがギュウーンとしなった。
「え? ま、まさか、釣れたの?」
 少年が、いそいで、さおを引き上げると、糸の先にぶらさがっていたのは、きのうのカメだった。
「おれも、ひとりぼっちでさ、新しい家族がほしくなってね」
 カメは釣り糸にぶらさがりながら、ウインクした。
「なんだ、じゃあ、決まり! きみとぼくは、今日から家族だね。よろしくな」
 少年は、ニコッと笑うと、黄色いバケツに、そっとカメをいれた。
 カメは、「家族だって」と、こみ上げてくるうれしさを、うどんといっしょに、ぎゅうっとかみしめていた。





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