おじいさん先生は、森一番の名医さんです。
今日も、朝から大いそがしでした。
鳴き過ぎて、のどをいためてしまったセミや、耳に虫が入ってこまっている犬。
とげがささって、困っているふくろう、食べ過ぎで、おなかをいためたイノシシ。
けれど、おじいさん先生は、最近なやんでいました。
少しづつ、確実に、老いがおそってきます。
どんな耳のおくまでも、見わたせた目も、だんだんかすんで、見えなくなってきました。
ドクンドクンという心臓の音も、おなかの虫の声も、聞こえにくくなりました。
ピンセットをもつ手も、時々ふるえます。
けれど、おじいさん先生は名医です。
不安な顔は、出来ません。
今日も、患者さんが、たくさんやってきます。
「先生早くぅ〜!くるしいよぉ〜!」
食べ過ぎで、苦しむイノシシは、目を白黒させています。
やれやれ……。
おじいさん先生は、長年の経験で、なんとか治療を、続けました。
夜、おじいさん先生は、もうくたくたでした。
病院を、閉めると、大きくため息をつきました。
「はぁ……もう疲れたな……」
森のみんなは、おじいさん先生が、元気がないことに気がついていました。
そしてコオロギが、毎晩おじいさん先生のようすをうかがっていました。
おじいさん先生のひとりごとを聞いて、さっそくコオロギは森のみんなに、知らせに行きました。
「おじいさん先生は、もう疲れたと言っていたよ。」
森のみんなは考えました。
「そうかぁ……ぼくたちが毎日おじいさん先生を、疲れさせているのかァ……」
イノシシは、考えました。
「ぼくは、おじいさん先生をこまらせないように、気をつけて、食べ過ぎないようにするよ!」
みんなうなずいて、病院には行かないことを、約束しました。
次の日、おじいさん先生は、誰も病院にこないので、不思議に思いました。
けれど、久しぶりに、ゆっくりすることが出来ました。
その次の日、また次の日も、だぁれも病院にはやってきません。
おじいさん先生は、ちょっぴりさびしく、心配になってきました。
「イノシシくん、元気にしてるのかなぁ。みんな元気かなぁ。」
それを聞いたコオロギは、また急いで、森のみんなのところに行きました。
おじいさん先生の言葉を聞いたみんなは、大喜び。
おじいさん先生が、朝、目を覚ますと、病院の前には、森のみんなが、並んでいました。
「はて・・・?」
おじいさん先生は、不思議に思いながらも、久しぶりにみんなの顔が見れて、なんだかうれしくなりました。
それから、森のみんなが、自分を心配してくれているのを、とってもうれしく思いました。
「まだまだ、がんばらにゃあ・・・。」
おじいさん先生は、次の日、病院を休んで街に出かけることにしました。
新しい眼鏡と、最新型の聴診器を、買うことにしたのです。
それから、おじいさん先生は、わざと大きな声で、言いました。
「明日は、ゆっくりしたいなぁ……。」
コオロギは、大急ぎで、森のみんなのところに行きました。
次の日、おじいさん先生は、病院の前に、ペタリとはり紙をしました。
--- 本日休業、今日は病院をお休みします。 ---
「これでよしっと。」
おじいさん先生は、いそいそと、街に出かけて行きました。
「久しぶりだなぁ、タバコ屋のおばあさんは、元気かな?」
おじいさん先生は、街に出かけるのが、久しぶりなので、街行きのバスの中で、いろんなことを考えました。
街に着いたおじいさん先生は、びっくりしてしまいました。
おじいさん先生が、知っている街のおもかげは、まったく無くなっていて、すっかり変わり果てていました。
よく見ると、なつかしいタバコ屋が、大きなビルの間で、今にも押しつぶされそうになっています。
おじいさん先生は、いそいそとタバコ屋に向かいました。
「こんにちは!」
しばらくすると、奥から、おばあさんが、顔を出しました。
「おや、おや、生きとったんかい。ひゃっひゃっひゃっ。」
なつかしい笑顔が、おじいさん先生を、緊張から解きほぐしてくれました。
「あんたも、元気そうで何よりだ。しかし、まぁ、すっかり、かわっちまったもんだ。」
「そうだなぁ。おじいさんが、前にやってきたのは、いつだったかいのう。」
もう二人とも、すっかり年をとってしまったので、何年ぶりの再会なのか思い出せませんでした。
おじいさん先生は、タバコ屋で、のどあめを買いました。
街の空気は、年とったおじいさん先生には、刺激が、強すぎました。
「げほっ、げほっ。あーかなわんな。早く、森にかえりたいな。」
森の空気は、とってもおいしいのです。
それから、眼鏡屋さんに急ぎました。
おじいさん先生は、長い間、さんざん悩んでやっと眼鏡を買いました。
「やれやれ、こんなに高いのか。これでは、とても聴診器は買えないな。」
とぼとぼと、歩いていると、一人の女の人と、ぶつかってしまいました。
「あいたたた・・・」
おじいさん先生は、道ばたに、しりもちをついてしまいました。
「ごめんなさい!」
女の人は、おじいさん先生を、起こしてくれました。
「すまないねぇ」
とおじいさん先生が顔をあげると、女の人の目には、涙が、今にもあふれ出しそうになっていました。
「おや、何かお困りですかね。」
とうとう、女の人は、泣き出しました。
「私の大事な息子が、ママなんか大嫌い! どこかにいってしまえ! って言うんです。昨日までは、とても素直で、いい子だったのに。私、あんまりにも悲しくて、家を飛び出してきてしまったんです。」
よく見ると女の人は、エプロンもしたままだし、足は、はだしです。
おじいさん先生は、これは、わしの出番だぞ! と思いました。
「それは、たいへんだ。息子さんは、あべこべ病に、ちがいない。わしが治してやるから、息子さんのところに連れて行っておくれ。」
女の人は、おかしなおじいさんだなと思ったのですが、あまりに真剣に言うもんですから、おじいさん先生を連れて、家にかえりました。
家につくと、口を、への字にまげた男の子が、いました。
男の子は、おじいさん先生を見るなり、らんぼうに言いました。
「やい、じじい!とっとと帰れ!!」
おじいさん先生は、そんなことをおかまいなしに、さっき買ったばかり眼鏡をかけました。
それから、とつぜん、男の子の口を、がばッ! と大きく開けました。
そして、ずり落ちそうな、眼鏡のおくの小さな目で、男の子の口のおくを、いろんな方向からながめて言いました。
「やっぱりだ! のどのおくに、あべこべ虫が、ひっついてるぞ。」
そしてかばんから、ピンセットを取り出すと、男の子のどめがけて、いきおいよくピンセットを突っ込んで、むんずと何かをつかみました。
そしてそのまま、男の子の口から、ピンセットを、えいやッ! と引き出しました。
ピンセットの先には、何か小さいものが動いていました。
「ほら、とれた!」
おじいさん先生は、大得意。
男の子の目の前に、今取れたあべこべ虫を、つき出して言いました。
「これじゃよ、こいつが、今まできみの言葉を、あべこべに、してしまっていたんじゃよ。」
男の子は、何かしゃべろうとしたけれど、のどの奥に、何かつまっていて声が出せません。
「おお、そうじゃ忘れておった、今までの、つまっていた言葉も、取り出さんとな。」
おじいさん先生は、そう言うともう一度、男の子の口の中に、ピンセットを突っ込みました。
すると、今までずっと、言いたかった男の子の本当の言葉が、いっせいに飛び出しました。
「ごめんね ありがとう だいすき」
たくさん、たくさん、出てきました。
男の子は、うれしそうにおじいさん先生に言いました。
「ありがとう!」
そしてもう一度、うれしそうに、笑いだしました。
「あああっ! 言える!!! 思っていた言葉がでてくるよ! 先生、ほんとうにありがとう!」
男の子は、お母さんに、何度も、何度も、「だいすき!」と言いました。
男の子のお母さんは、おじいさん先生に、何度も、何度も、「ありがとうございます。」と言いました。
おじいさん先生は「エヘン!」とせきばらいをして、ちょっとはずかしそうに、言いました。
「あのぅ、お礼は・・・・」
男の子のお母さんは、とても、うれしかったので、
「ええ、ええ、何でも、遠慮なく、おっしゃってくださいな。」
と言いました。
おじいさん先生は、それを聞いて、うれしそうに、言いました。
「じゃあ、そこに、ころがっている、聴診器をくださいな。」
男の子のお母さんは、とても驚きました。
だって、それは、男の子のおもちゃなんですから。
「こんなものでは、失礼です。どうか他のものをおっしゃってください。」
けれど、おじいさん先生は、それ以外に欲しいものは、思いつきませんでした。
「いや、これで、けっこう。」
そういって、いそいそとおもちゃの聴診器を、かばんに、しまいました。
「では、失礼するよ。」
とおじぎをすると、おじいさん先生は、とってもうれしそうに、家を出て行きました。
男の子も、お母さんも、おじいさん先生の後ろ姿を見て、くすりと笑ってしまいました。
おじいさん先生は、無料で聴診器を手に入れることが出来て、あんまりにもうれしかったので、大きなしっぽが、ズボンをつきやぶって、飛び出してしまっていることに、まったく気がついていませんでした。