木の唄がきこえる


「じっちゃん、いつものきかせてよぉ。」
 サクラは、あまえた声をだしました。
「ん? よしよし、いつものだな。」
 じっちゃんは、サクラの頭を、かるくトントンとたたいて、ポケットから小さな笛をとりだしました。手にすっぽりとおさまる小さなかわいらしい木の笛です。
 じっちゃんが、そっと笛にくちびるをあてると、いつものメロディーが、ここちよくひびきわたりました。
 サクラは、目の前にうかぶ大きな桜の木を見ていました。じっちゃんの笛の音をきくと、なぜかいつも姿をあらわすのです。
春には、見事な花を咲かせ、夏には、鮮やかな緑の葉をしげらせます。そして秋には、あたたかなオレンジ色の葉にかわり、冬は、りっぱな枝ぶりを見せるのです。
 じっちゃんのすきとおる笛の音に、その木は、さわさわと花びらをゆらしていました。
 サクラは、なつかしく、お母さんにだかれているような気持ちになりました。ふうわりと羽がはえてくるのです。
 サクラが、羽をはばたかせようとすると、さわさわさわっと拍手のような花びらのざわめきが、だんだんと遠くなり、木のすがたが、きえていきました。
「あっ、じっちゃん、もっと!」
 いつも、あともう少しで飛べると思うときに、じっちゃんの笛がおわってしまうのです。
「また、明日な。」
 じっちゃんは、そう言うと、笛をポケットにしまいました。
「ああーん、もうちょっと、ちょっとだけ。ね?」
 じっちゃんは、やさしく笑うだけでした。
 サクラの生まれる前、じっちゃんは、うでのいい木工細工の職人でした。
 けれども、ある日をさかいに、ぱったりと仕事をやめてしまったのです。
 あの小さな木の笛を、最後に作ったきり、二度と、木工細工の仕事をしませんでした。
 サクラは、ふしぎでなりませんでした。
 こんなきれいな笛なら、もっとたくさん作ればいいのに。そう思いました。
「ねぇ、じっちゃん、サクラにもあの笛作ってよ。」
 サクラは、じっちゃんの笛がほしくてたまらなかったのです。
「あの笛は、サクラにやるよ。」
「ほんと? ほんとにほんと? 約束よ。」
「ああ。サクラが、もっと大きくなったらな。」
 じっちゃんは、悲しげな表情をさとられないように、サクラに背を向けました。
(ああ、あの笛が、私のものになるんだ。)
 サクラは、うれしくて、もうじっちゃんの事は、目にうつっていませんでした。

 じっちゃんと約束した日から、5回目の春をむかえようとしていました。
 このところ、サクラは、いつもだれかに呼ばれているような気がするのです。
 南の方からやってくる風が、
「行こう。はやく行こう。」
 そう言っては、通り抜けていくのでした。
 気のせいかしら? サクラは、あまり深く考えませんでした。そして、じっちゃんの笛のメロディーを、口ずさんでいました。
 ふしぎな事に、サクラが唄うと、たくさんの小鳥たちが集まってくるのです。
 サクラには、お父さんもお母さんもありませんでした。けれど、じっちゃんや、たくさんの小鳥たちに囲まれて、少しもさびしいとは思わなかったのです。
 そんなある日、じっちゃんが、サクラをよびました。
「サクラ、とうとうお別れの時が、来たようだ。」
 サクラには、なんのことだか、さっぱりわかりません。
「どうして? じっちゃんは、サクラの事がきらいなの? サクラがいない方がいいの?」
 じっちゃんは、サクラをしっかりと抱きしめました。
「じっちゃんだって、サクラとずっと一緒にいたいさ。」
「じゃあ、なんで? なんで、お別れなの?」
 サクラは、じっちゃんの胸の中で泣きじゃくりました。
「おまえだって、気がついているんやろう? 風が呼んでいるのを。」
 サクラは、じっとおしだまっていました。
「サクラ、おまえは森の子なんや。
 じっちゃんは、さいごの桜の木と約束したんや。」
 じっちゃんは、遠くを見ていました。
 そして、静かに話し始めました。
「じっちゃんが、若いころはなぁ、このあたりは、すばらしい森やった。もうずっと昔の事や。いつも小鳥のさえずりがきこえてきてな、木もれ日がキラキラしとった。
 ほんとうに美しい森やった。
 ずっと美しい森のままだと信じていたんや。」
 じっちゃんは、ふかいため息をついて、話を続けました。
「それがな、少しずつ、森がなくなっていったんや。一本、二本と木がたおされて、三本、四本、五本、六本、七本……。
 その後は、あっというまやった。
 じっちゃんは、森の木がたおされるたびに、からだの一部が、もぎ取られていくような気がしたんや。イタイ、イタイってな、森が叫ぶのがきこえる。
 たおされてしもうた木を見てな、なんとかならんかと考えたんや。毎日、横たわっている木をながめてな、抱きしめてやったんや。そしたら、木の声がきこえたんや。  まだ生きたいってな。」
「それで、木工細工をはじめたの?」
 サクラは、じっちゃんの笛を思いうかべていました。
「そうや。たおされた木に、もう一回命をふきこんでやりたいと思ってな、テーブルや、いす、こどものおもちゃ、いろんなものをいっしょうけんめいに作ったんや。
 みんなにこの森の事を忘れてもらいたくなかったからや。
 森の木が、たくさんの人のところで、大切に使われているのを見るのが、じっちゃんの楽しみやった。」
 じっちゃんは、ここまで話すと、ふうっと表情をくもらせました。
「そやけどな、とうとう森の木は、桜の木が一本だけになっしもうた。
 いよいよその木がたおされる時に、じっちゃんは、ふしぎな夢を見たんや。」
 サクラは、大きな木を思い出しました。
 じっちゃんの笛であらわれるあの桜の木。
「桜の木の根本には、かわいらしい赤ん坊がおってな、桜の木が言うんや
『この子を、どうかたのみます。この子は、森の子です。森がなくなって、この子が住めるところはありません。そして、とうとう私も、たおされてしまいます。どうかおねがいです。この子が十歳になるまで、育ててやってください。十歳になれば、風が、この子を北の森へ連れて行ってくれるのです。お願いです。さいごのねがいをきいてくださいな。』
 じっちゃんは、はっと目が覚めてな、そんまますぐに桜の木のところへ行ったんや。そしたら、ほんまに夢で見たとおり、かわいらしい赤ん坊がおったんや。」
「それが、サクラなの?」
 サクラは、おそるおそるききました。
 じっちゃんは、しずかにうなずきました。
「じっちゃんは、約束したんや。ぜったいに大事に育てるって。
 それから、なんぼもせんうちに、さいごの桜の木は、きりたおされてしもうた。
 じっちゃんには、桜の木が何をのぞんでいるのかわかったんや。そやから、この笛を作った。森のさいごの木や。じっちゃんにとって、さいごの仕事や。」
 じっちゃんは、笛をポケットからとりだすと、サクラの手ににぎらせました。
「さぁ、ふいてごらん。風が向かえにきてくれる。おまえは、北の森で幸せになるんだよ。」
 サクラは、じっちゃんに言われて、そっと笛をふきました。
 清らかで、美しく、すがすがしい音がひびきます。しばらくすると、南の方から風がやってきました。
「さぁ、行こう。いっしょに北の森へ。」
 風は、サクラのまわりでそう言います。
 サクラは、笛をふくのをやめました。
「いやよ! 北の森へは行かないわ。ずっとここにいる。じっちゃんのそばにいる。」
 風は、しばらくサクラのまわりをぐるぐるとまわっていました。
「ほんとうにいいの?」
 風がききました。
「いいの。」
 サクラは、大きくうなずきました。
「もう二度と、森へは行けないわ。」
 風はそう言うと、北の方へと行ってしまいました。。
「サ、サクラ、おまえ……。」
 じっちゃんは、腰をぬかしてしまいそうなほど、おどろきました。
 サクラのからだは、みるみるうちに桜の木に変わっていったのです。
 サクラは、にっこりとほほえみました。
「じっちゃん。サクラは、ずっとここにいるよ。いつかここを、もう一度じっちゃんの好きな森にしてあげる。」
 サクラは、さいごにそう言うと、すっかり桜の木にかわってしまいました。
 じっちゃんは、サクラを抱きしめて、いつまでも、泣いていました。
 そして、ころがっている笛をひろいあげると、いつものメロディーをふきました。
 やさしい音色が、サクラをつつみます。
「約束や。この笛は、サクラにやるよ。」
 じっちゃんは、そう言うと、サクラの根本に笛をうめました。
「ありがとよ。サクラ、ありがとう。」

 それから、じっちゃんは、また木工細工をはじめました。あちこちから廃材を集めてきては、木の笛を作りました。
 少しでも多くの人に、木の唄をきいてもらいたかったのです。
「じっちゃん、もっと笛を作ってよ。」
 サクラの声がしたような気がしました。
 じっちゃんが、せっせと笛を作っていると、いつもサクラの唄がきこえてきます。  そして、たくさんの小鳥があつまってくるのです。鳥たちは、唄のお礼に、種をはこんできました。
 じっちゃんは、いつか本当に、また森がかえってくると思いました。サクラの森が。
 サクラのまわりには、小さな芽が、すくすくと育っています。





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