バイバイ雪だるま


 しんしんと寒い夜だった。
 ストーブのたかれた部屋は暖かく、窓は、びっしょりと汗をかいている。
 ヒカリは、こたつに、すっぽりともぐりこんで、うつらうつらとしていた。
「ヒカリ、こんなとこで寝ちゃダメ。ちゃんとお布団に行きなさい。」
「やだ。ここで寝るもん。」
「もう、スイッチを切りますよ。」
「だめー!」
 ヒカリの叫び声と同時に、こたつのコンセントは、ひっこ抜かれた。
 テレビの画面も、いつの間にか真っ黒だ。
「ちぇっ、いいじゃんか。ケチッ!」
 ヒカリは、ほっぺたを、ぷうっとふくらませ、洗面所に向かった。
 シャーッ。水の音を聞くと、ぶるんとふるえが走った。
「はぁー。冷たい。」
 いつもどおりに、たっぷりと歯みがき粉をつけた歯ブラシを口に含むと、いきおいよく、しゃかしゃかと口いっぱいに泡立てた。
「今夜は、積もるかもしれないね、雪。」
 鏡には、にっこり顔の母さんが、写っていた。
「ぐおっ」
 ヒカリは、あわてて口いっぱいの泡をはき出した。
「ほんと? ほんとに積もる?」
「ヒカリがいい子で寝てくれたらねぇ、積もるかもしんないよ。」
 こういうせりふを言う時の母さんは、いたずらっ子のようにくりくりした目になる。「ヒカリは、いつも、いい子じゃんか!」
 うがいの水と一緒に、ぼそりと、はき出した。
「母さん、手袋を出しておいてね。」
「はいはい、机の上に置いておいたからね。」
「おやすみなさい。」
 ヒカリは、大急ぎで、自分の部屋に飛び込んだ。
「あった!」
 机の上には、真っ白の手袋がちょこんと置かれていた。
 ヒカリは、手袋をはめるとそのまま布団にもぐり込んだ。
 ほっぺを手袋の手でなでてみた。
「くぅっ。あったかい。」
 これがあれば、教科書で見た、かまくらだって作れるかもしれない。
 それから、大きな雪だるまに、ウサギに、いっぱいいろんなものを作ろう。
 雪合戦もしたいし。
「ああ、なんて素敵なの。外は、真っ白けのけ。朝になったら真っ白けのけ」
 ヒカリは、手袋を外して、いい子で寝ようとした。
 けれど、雪のことを考えると、目は、らんらんとして、ちっとも眠たくない。
 もう一度、手袋をはめて、羊を数えた。
 羊は50を数えたところで、雪のかたまりに変わった。
 そうして、上と下のまぶたがとろんとくっついた。

 ヒカリは、目覚ましが鳴る10分前に目が覚めた。
 がばっと飛び起きると、窓辺に立った。
 すぅーふぅー、深呼吸一つ。
 シャッ。カーテンを開けると、今までに見たことのない光景が広がっていた。
「うわおっ!」
「でも、これだけじゃあ、かまくらを作るのは、一苦労だわ。」
 早速、洋服に着替えると、玄関を開けた。
 冷たい空気が、肌に突き刺さる。
 ヒカリは、手袋の上にビニール袋をかけた。
 お気に入りの手袋を、汚すわけにはいかない。
 玄関の手すりの上の雪を、そっとかき集めた。
「冷たいよぉ。」
 雪のひやっとした感触は、手袋をすり抜けて、ヒカリの手に、じんじんと伝わってきた。
「こんなんじゃあ、手がもたないよぉ。」
 手すりの上の雪で、ドッジボールより少し小さめの雪のかたまりを一つ作った。
 手がしびれてきたけど、もう少し我慢して、車の上の雪をかき集めて、もう一つかたまりを作った。
「できたっ!」
「ヒカリ! 朝ご飯、早く食べなさい。」
 母さんが、呼んでいる。
 もう少し、と思ったけど、朝は、母さんを怒らせると大変だ。
 しぶしぶ、家の中へと入った。
 朝ご飯を食べて、学校に行く支度をしていると、時間が無くなった。
 ヒカリは、さっき作った雪だるまを、とりあえず、玄関の扉の横に置いた。
「かあさん、雪だるま、壊さないでね。じゃあ、行ってきまーす。」
 学校に行けば、今度は雪合戦ができる。
 そう思うと、かけ足で学校に向かった。
 授業は、相変わらず退屈だったけど、窓の外を見ると、黙っていられない。
「くふっ、真っ白けのけ。」
 ところが、4時間目の授業が終わる頃になると、白いグランドが、いつもの土色へと変わりはじめた。
「うそ! やだよ。放課後は、もっと遊ぶのに。」
 パシッ。先生の教科書が、ヒカリの頭を直撃した。
「今は、国語の時間だぞ。」
 ヒカリの机の上は、前の授業から変わっていなかった。
(大変だ。早く帰らなきゃ。)
 もうその後は、何が何だか覚えていない。
 給食だって、午後の授業だって、訳がわからなかった。
 時計の針が、ちっとも動かなくて、こんちくしょう! といらついた。
 念じると、テレビで見たみたいに、時計の針がくるくる動き出すかもしれない。
 じっと、見つめれば見つめるほど、時計の針は動こうとはしない。
 かわりにヒカリの目がくるくると回りだした。
 長い長い授業が終わると、いちもくさんに家に向かった。
(大変だ! 大変だ! 大変だよぉ!)
 玄関の前の小さな小さな雪だるまは、お日様の光を浴びて、たくさんの汗を流していた。
「よかったぁ! まだいてくれたんだ。」
 ヒカリは、小さな雪だるまを壊れないようにそっと、手にのせた。
 そして、空を見上げて、キッとお日様をにらみつけた。
「バカ。お日様のバカ。」
 お日様は、おだやかに笑っているようだった。
 ヒカリは、涙があふれてきた。
「お日様なんて、大きらいっ! ヒカリの雪だるまは、ヒカリが守る!」
 もう、こうなったら、雪だるまを外になんか出しておけない。
 すぐに家に入りたいのに、両手がふさがって、扉が開けない。
 こうしている間にも、ヒカリの手の中で、雪だるまが、小さくなっていく気がした。
「母さん、あけて! 早くー。」
 インターホンを肩で押して、大声で叫んだ。
「おかえり。」
 母さんは、のんきな声で玄関にでてきた。
 ヒカリは、ただいまも言わず、台所に駆け込んだ。
 そっと雪だるまを、床に置くと、冷凍室の氷を全部かき出した。
 雪だるまが入るスペースを確認すると、ヒカリは、にんまりした。
「ここなら大丈夫。私って、あったまいいー。雪だるまちゃん、せまいけど、ここでがまんしてね。」
 床の上の雪だるまをそっと冷凍室に入れた。
 母さんにばれると、きっと雪だるまは放り出されてしまう。
 大急ぎで、床を拭き、何もなかったように、こたつにもぐり込んだ。
 こたつの温かさで、手がしびれていることに気が付いた。
「はぁー、気持ちいい。」
 ヒカリは、そのまま、眠ってしまった。

「ヒカリ! すぐに台所にきなさい。」
 母さんの怒っている声で、目が覚めた。
「ヤバ・・・ばれちゃったな。」
 台所には、怖い顔の母さんが立っていた。
「ごめんなさい。お願い。ヒカリの雪だるま、しばらく、ここに入れさせて。お願い。だって、だって・・・ヒカリが初めて作った雪だるまだもん。」
 あやまっているうちに、涙があふれ出した。
「今日だけよ。」
 さすがの母さんも、ヒカリの涙には、かなわなかった。
「うん。」
「はい、じゃあ、これを雪だるまにつけてあげなさい。顔無しじゃあかわいそうでしょ。」
「うわぁ〜 だから母さん大好き!」
 ヒカリは、2粒の黒いビーズとフェルトで作られたの口と鼻を受け取った。
 冷凍室から雪だるまを取り出すと、さっそく顔を取り付けた。
「ずっと、ヒカリの雪だるまだよ。」
 冷凍室にもどすと、なくなるんじゃあないかと、何度も冷凍室を見に行った。
 開けると、必ず、雪だるまが、ヒカリに笑いかけてくる。
 安心して、こたつにもどるものの、やっぱり、台所へと向かってしまう。
「こら! いい加減にしなさい。」
 母さんのげんこつが頭に落ちた。
「ごめんなさい。」
 ふわんとチーズの焦げるこおばしい匂いが、ヒカリの鼻をくすぐった。
「この匂いは・・・」
「そう、グ・ラ・タ・ン」
「やったー!」
 テーブルには、もうお父さんが座って待っていた。
「いただきまーすっ! これって、今日のグランドみたいだ! 土と雪が、ぐちゃぐちゃってね。」
「お父さん、ヒカリったらねぇ。」
 グラタンを、かき回してたヒカリの手が止まった。
「ダメ! 言っちゃあダメ!」
「なんだ、父さんだけ、仲間はずれかい?」
「だって・・・笑わない?」
 再び、グラタンをぐちゃぐちゃにしながら言った。
「もちろん。」
「あのね、ヒカリの雪だるま、冷凍室で、ずっと、育てるの。」
「ワハハハ。あっ、ごめん、ごめん。」
「嘘つき! 笑わないって約束したじゃん。」
「ヒカリが、楽しいこと言うもんだからさ。けどな、夜になったら、うんと大きくなって、雪だるま怪獣になっちゃったら、どうする?」
「う、うそ。そんなことないもん。」
「わからんぞぉ。ヒカリを食べちゃうぞ。ってな。枕元にやってくるぞ。」
 ヒカリは、ごくんとつばを飲み込んだ。
「お父さん、ヒカリを怖がらせるんじゃあありません。」
「ヒカリの雪だるまがそんな事するわけないじゃん。」
 でも、ヒカリの頭の中では、大きな口をあけて、にたりと笑う雪だるま怪獣は、あばれていた。
「はいはい。」
 晩ご飯の後も、ヒカリは、雪だるま怪獣のことで、頭がいっぱいだった。
(そんなこと、あるわけないじゃん。)
 気がついたら、ヒカリが楽しみにしていたテレビ番組も終わっていた。
「今日は、朝から、大はしゃぎだったんだから、早く寝なさいよ。」
「はーい。」
 自分の部屋に行ったものの、眠れそうになかった。
 頭まですっぽりと、布団をかぶった。
 うとうととしてきた時に、トイレに行きたくなってきた。
「あーーん、こんな時に限って・・・。」
 しばらくがまんしたけれど、もうがまんの限界だった。
「ううっ。」
 仕方なく、トイレに行くことにした。
 父さんの話を、思い出すと、ぞくっと背筋が、ふるえた。
「ヒカリの雪だるまが、怪獣になんてなるわけないじゃん。」
 トイレをすませて、部屋にもどろうとすると、何か声がする。
「ま、まさかね。」
 よおく耳をすませると、泣いているような声が、台所から聞こえてくる。
 ヒカリは、ぶるんと、全身がふるえた。
 両手で耳をふさいで、自分の部屋に駆け込んだ。
 ぶるん、ぶるん、ぶるぶるっ、ヒカリのふるえは、はげしくなっていく。
 口の中では、歯がカチカチとはげしく音を立てた。
(違うもん、違うもん、雪だるまちゃんが、怪獣になんてならないもん)
 耳をふさいだまま、布団の中で、小さく小さく身体を丸めていた。
 布団で、体が温まってくると、ふるえもおさまってきた。
(まてよ! 聞こえていたのは、泣き声だ。もしかしたら、雪だるまちゃんは寂しいのかも。)
 そう思うと、今度は、雪だるまのことが、心配で心配で、じっとしていられなくなった。
「よしっ! 行くぞっ!」
 ヒカリは、台所へと向かった。
 しく・・・しくしく・・・ひぃく、ひぃく、しくしく。
 間違いない。泣き声は、台所の冷凍室から聞こえてくる。
 すぅー、はぁー、呼吸をととのえると、そっと冷凍室を開けた。
 ひっく、ひぃく、しくしく。
 雪だるまの周りには、小さな小さな涙の粒がいっぱいだった。
「どうして、泣くの?」
 ヒカリは、そっと雪だるまの頭をなでてあげた。
「暗いの。せまいの。・・・怖い。」
 雪だるまが、しゃべった。
「・・・・・」
 ヒカリは、雪だるまの言葉に、胸のあたりがちくんとした。
「それに・・・。」
「それに、なに?」
「それに、大好きな、お日様に、もう会えないかと思うと、悲しくて悲しくて」
「ヒカリは、お日様なんか大嫌い。だって、雪だるまちゃん、溶かしてしまうんだもん。やだよ、絶対やだよ!」
「私は、空に帰りたい。お日様に温められて、空に帰りたいの。」
「やだ、やだよぉ。ずっとヒカリと一緒にいようよ。」
「帰りたいの・・・。」
 雪だるまは、ますますはげしく泣き出した。
 心臓が、バクバクとヒカリを責め立てる。
 胸が苦しかった。
「わかった、明日の朝、外に出してあげる。」
「本当?」
「うん、約束。」
 雪だるまはやっと泣きやんだ。
 そして、にっこり顔の雪だるまにもどった。
「おやすみ、雪だるま。」
 ヒカリはそっと冷凍室をしめると。
 自分の部屋にもどった。
 悲しくて悲しくて、涙が止まらなくなった。
 泣きながら、眠ってしまった。

 ジリリリリ・・・。
 けたたましい、ベルの音で目が覚めた。
「うるさいっ!」
 ヒカリは、目覚まし時計のスイッチを切ると、台所に向かった。
 冷凍室を開けると、雪だるまがは、とびきり嬉しそうな笑顔を、浮かべたように思えた。
「約束だもんね。」
 そう言うと、そっと雪だるまを持った。
「母さん、雪だるまが、空に帰りたいって。」
「そうね、帰してあげましょう。」
 外は、まぶしかった。
 ヒカリは、雪だるまを、一番お日様が、よく見えるところに置いてあげた。
「バイバイ、雪だるま」
 雪だるまの目が、あたたかな日差しを浴びて、きらりと光った。
 ちりちりと、雪だるまが溶けていく。
「バイバイ、雪だるま。空にお帰り。」
 ヒカリの目から落ちたしずくが、雪だるまの身体を通り抜けた。
 ヒカリが、学校から帰ってきた時には、雪だるまのいた場所に、小さな水たまりと、嬉しそうな笑顔が残っていた。
「バイバイ、雪だるま。」





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