a united front −魔勇共同戦線−



 夕闇の中、波の音が絶えぬ砂浜に、ぽつりぽつりとよぎる半透明の影。
 その数が、徐々に増えていく。
 普通の人間がそれを目撃すれば、何事かと驚き恐れる出来事で、見るものが見れば、それは大変興味深い集まりだった。ぼそぼそと、ヒトの言葉ならぬ言語で、それらが体を寄せ合い会話をする。
"……どこに………だろう……"
"たしかにここに……の、残りが……"
"アッチから……の……が……"
 その集団は、一斉に頷くように体を揺らすと、一体が示した方向に、ゆっくりと移動し始めた。
 目指すは、平原を越えた街の、さらに向こう。

 その群れの目指す、目的地は――



 かの浜辺で、そのようなことがあった翌朝。
 ルカとマルレインが、噴水脇に腰掛けて、仲良く話しているところに、母親と祖父母が連れ立って屋敷から出て来た。
「あれ、出かけるの?」
 ルカが、母親に訊ねる。
「今日は、村の寄り合いなのよ〜。夕方には帰ってくるから、お留守番よろしくね〜。お昼ゴハンは、テーブルの上に作ってあるからー」
「うん、わかった」
「いってらっしゃい」
 ルカとマルレインが、答える。
 普段、家から出ない祖父母もこの時ばかりは、村へと顔を出すようで。
「ばあさん、今日の茶菓子は何が出るかね? わしは水ようかんだと思うのじゃが」
「えーえー、そうですね。おじいさん」
 そんな会話をする両親を連れた母親は、門の向こうへと姿を消す。
 彼らを見送って、ルカとマルレインは、太陽の真下、家の中へと入って行った。
 台所には、アニーとロザリーがいた。
 再分類事件が解決した日。アニーが、どうしてもというので、一晩ロザリーは、この屋敷に泊まる事になったのだ。
 一夜明けて、彼女の火傷は、ほとんど目立たなくなっていた。
 ちょうど食後のお茶を飲んでいるようだった。
 2人の前には、湯気の立つティーカップが置かれている。
「あ、おにーちゃん達のご飯はこれだってー」と、アニーが卓上の布の小山を指差す。
「集会なんてものがあるのね、ここの村って」と、ロザリーが、別段意味も含まずにそんな感想を言う。
 ルカとマルレインが席に着き、4人はそこそこに談笑する。
 だが、その和やかな雰囲気を打ち破る轟音が、屋敷全体を揺るがすように響き渡った。
「!? なにっ?」
 少年たちが座ったまま、驚き辺りを見まわす中、一人素早く立ち上がり、ロザリーは椅子に立て掛けた剣を腰に装着する。
 そしてロザリーは「外だったわね」と口早に、台所から走り出て、玄関の扉を開け放つ。
 刹那、ロザリーの目が見開かれる。
 目を見張る事態が、そこには展開されていた。
 旅の最中、幾度か世話になった少年の屋敷の庭一面が、宙を浮遊する物体に埋め尽くされている。
 それは、彼女がこれまでに――分類の作用で――、妙に遭遇率の高かったオバケだった。
 そのオバケの集団の一角に、その群れに囲まれた一人の男の背中が見えた。
 褐色肌に尖った耳、黄金色の髪とシワ一つない黒の上下。
 ロザリーは、その見知った背中に、声を飛ばす。
「スタン! これ、またアンタがなんか仕出かしたんじゃないでしょうね!?」
 スタンは、振り返る。すこぶる不機嫌そうな顔で、ロザリーを一瞥すると、
「余が知るか! 余の方が聞きたいわ!」
 ロザリーに怒鳴り飛ばすスタンの背後から、数体のオバケが躍り掛かる。
「!? 後ろ!」
 とっさに叫ぶロザリーに、オバケを振り仰ぎスタンは片腕を突き出す。
「ウザい!」
 屋敷の中まで聞こえたものと同じ轟音が、炎を伴って彼の手の平から放たれる。
 一瞬にして、数体のオバケは消滅した。
「……なんなの、一体……?!」
 茫然と、ロザリーは呟く。
 そこにルカ、マルレイン、アニーもやってくる。
「どうし……!?」
「あなた達、出ちゃダメよ!」
 背後の少年達には目もくれず、ロザリー。
 蠢くオバケが、口々になにか漏らしている。しかし、その言語を理解する者はいない。
「なに? なんなの?」先ほどから、同じ問いが、ロザリーの口をつく。
 理解不能の言語は、ただ不安と恐怖を増大させるだけだ。
「……ほうほう、なるほど。『魔力をよこせ』と、あちらの方々は申しておりますぞ」
「うわ。いつの間に、ジェームスさん」
 突如隣に現れた、魔王の神出鬼没の――猫背というよりも鉤のような形状の――執事に、ルカは無感情に驚いた。
「坊っちゃまー。お気をつけなさいませ〜。そやつらは坊っちゃまの魔力がお目当てのようですぞ〜」
「なんだとぉ!?」
「なんですって!?」
 気楽に手を振る執事の言葉に、スタンとロザリーがほぼ同時に、声を張り上げた。
「いやー。昨日まで坊っちゃまの魔力が分断されていた煽りでしょうな。彼等のモクロミは、坊っちゃまの魔力を掠め取り、魔王の力を手に入れようというトコロではないでしょうかな?」
 かつてのニセ魔王達のしたことを、この集まったオバケ達もしようというのだ。
「…っ! 下級魔族の分際で、余の魔力を狙うとは、分相応という言葉を知らん奴らめが!!」
 ジェームスの見解に、自分を囲むオバケ集団を睨み付けてスタンが吼える。
「……ていうか、魔王として、それはどうなのよ、アンタ……。つくづく、情けないったらないわね。ガッタガタじゃない。統率力ゼロね」
 水を差し、ロザリーは玄関から1歩踏み出す。スタンの背中が一瞬硬直するのが見て取れた。
 だが、スタンはこちらには顔を向けずに、ややヤケクソ気味に言い返してきた。
「こやつらは貴様等人間でいうところの畜生だ。この余がわざわざ治めてやるほどのヤツらではない!」
「言い訳くさいわね」と、完全に呆れかえった視線をスタンに投げかけて、それから身構え周囲のオバケの数を把握する。
 見える位置にいるオバケだけでも、軽視できる数ではなかった。
 屋敷を囲む木々の隙間にも、ちらほらと半透明のイキモノは、ひしめき合って本来服従すべき魔王の魔力を虎視眈々と狙っている。
「力押しで片付けられないヤツらじゃないけど、これはかなり時間が掛かりそうね……」
 ロザリーの言葉と同時に剣を抜く金属の摩擦音が、スタンの耳に聞こえた。
「おい、バカ女。妙な手出しをするんじゃなかろうな?」
 スタンはオバケとのにらみ合いを続けている。ロザリーの方は見ていない。
「当然、するわよ。これだけのオバケを見ておいて、何もしないなんて、勇者として名折れだもの。
 それに……――アンタに借りを作れるチャンスだしね」
 ロザリーはもう1歩踏み出す。
「ロザリーさん、ボクも戦います」
 申し出るルカの横で執事が、懐中時計を取り出した。
「はっ! もう、このような時間ですな!? そろそろ寄り合いの会議が始まってしまいますので、ワタクシはこれにて失礼させて頂きますぞ」
「え…? どうして、ジェームスさんが村の寄り合いに出て……?」
 ルカがもっともな疑問を終える前に、執事は自らの足元に広がったブラックホールのようなものの中に落ちて消えた。他の面々は、無責任な執事に取り合う気などないのか、全くそのことには触れなかった。
「ふん。まあいい。どうしても余を手伝いたいというのなら、勝手にしろ」
「アンタを手伝いたいなんて一言も言ってないでしょ。もしアンタがミスって魔力を奪われたりしたら、あたしの影も直らないし、このオバケ達が村の方に流れて行ったら一大事だし。平和を守るためにあたしは戦うワケ」
「それから」と、ロザリーは顔を振り向かせ「ルカ君は女の子達を守ってあげて」と後ろの少年に言葉を放つ。
「あ、はい!」
 返事をするが早いか、ルカは自らの能力を引き上げる呪文を唱え始めた。その後ろで、マルレインとアニーは、いつの間にかその手にフライパンを握り締め、きっちりと戦闘体制に臨んでいる。
 それが、混戦の始まる合図となった。
 ロザリーが、オバケの集団に冷気魔法を炸裂させて、敵が消滅した空間に出来た広い場所へ、即座に移動する。
 同胞への攻撃を受け、オバケ達はロザリーをも攻撃対象と認めて、近くにいるオバケが、怯みもせずに、ロザリーへと襲い掛かる。
 しかし、短く息を吐いたロザリーが、その腕を突き出すだけで、いとも簡単にオバケは貫かれ消失する。
「おい、鉄面皮女。面白い事を考えたぞ!」
 ロザリーから離れた場所で、自在に炎を操って反逆者の群を焼き払うスタンが、やや声を張り上げ気味にそう言った。
「面白い事?」
 ロザリーがオウム返しに問いながら、氷柱に敵を閉じ込め粉砕する。
「そうだ。どうせ、このような雑魚に手間取らんであろう? 余と貴様のどちらが多く狩れるか勝負せんか?」と、余裕の笑みでオバケを捩じ伏せるスタンに、意外そうにロザリーは片眉を跳ね上げた。
「……へえ、アンタが勝負とか言うなんて、珍しいわね? でも、確かに面白そうだわ!」
 互いに、敵だけを見て会話する。無論、攻撃の手は休めない。
「なに、余と貴様の力の差を教えてやるのに、良い機会だと思ったまでだ!」
「あ、そ。それじゃ、あたしが勝ったら、今度こそ影を直してもらうわよ!?」
「では、残念だったな。余の勝利は目に見えている」そこで、スタンは鼻を鳴らす。「余はすでに軽く20匹は倒しておるからな」と続ける。
 しかし。
「なーに? 大きいこと言っておいて、ハンデがないと勝てないわけ?」
 得意げに言った言葉を、ロザリーに皮肉られる。
「馬鹿をぬかせ! そんなワケがあるか!!」
「じゃ、今からカウントよ! いいわねっ?」
 ムキになって言い返したのを、ロザリーに仕切り返されて、スタンは答えず舌打ちして、始まった勝負の第一の犠牲者を、いとも簡単に焼き捨てた。
「…2人とも、余裕ね…」
 魔王と勇者の、一通りの会話を聞き終えて、戦いなど経験したことのないマルレインは、冷や汗を流しながら、感心しているのか呆れているのか、そんな一言を漏らした。
「こんな時に、なに言ってるのさ、スタンもロザリーさんも…」
 見るからに弱そうな少年達を囲むオバケを、手に馴染んだ剣で牽制しながら呟くルカの声は、2人には届かなかった。

 下等魔族の襲撃のあった時刻から、少し太陽が傾いて、1日の中で最も気温の上がるであろう時刻に、小さな田舎村の住人が全く気付かないところで、普通人には脅威となるモノの集団を排しようと戦う女勇者の息は、随分と上がっていた。
 本来、戦闘というものは、そうそう長続きできるものではない。体力は減る一方だ。
 そして、集中力も欠く。
 特に、複数の敵に囲まれている時に、人は、常に神経を張らせた状態を、そうそう長く続けられるものではないものだ。
 敵の1体1体には、時間を掛けずに倒せるというものの、どこからこれだけ集まったのか、斬り捨てても斬り捨てても、まるでその数が減ったように見えない。
 そのことが、ロザリーの士気を滅入らせる原因となっていた。
 視界の端に、スタンが、未だ単調に害虫駆除でもするかのように、涼しい顔をして、彼に向かう下等魔族を炎に巻く姿が見えた。
 女勇者は、タイマン勝負なら同格の力を持っている魔王との――今更、『1対1』での戦いを、挑む気はさらさらないが――、何か絶対的な差を、心のどこかで知った。
 それは、悔しさでもあり、また別に――
 くっ、と息を吐き、迫るオバケを一閃、凪ぐ。
 もう、何体目になっただろうか、もはや倒した数は、判らない。途中から数えることは止めた。
 スタンは、まだ倒した数を数えているのだろうか?
 そんな考えが浮かぶ。自分とは違い、それくらいの余裕は、不逞の手下を処理する魔王からは、感じられた。
 ロザリーは、自分とスタンとの直線状にいるオバケ達を、魔法で一掃させると、その何もいなくなった地を蹴り駆ける。
 聞こえた急く足音に、スタンは振り向こうとするが、その隙を突くように接近するオバケに気を取られた。
 ロザリーは、そのスタン後姿へと辿り着くと、日傘を下げ、身を反転させると、そのまま背中をぶつける。
 日傘を下ろしたことで、ロザリーの影が、忌むべき色へと変化するが、今ここでそれを笑うものはいない。
「おい、勝手に余の領土に入ってくるな!」
「…いつ、そんなもん決まったのよ」
 自分のテリトリーを主張するスタンは、背中越しに、肩で息をするロザリーに気付く。
「どうした、万年不調勇者。もう、リタイヤか?」
「…………」
 小馬鹿にして言うスタンには答えずに、荒ぐ呼吸を無理に従わせ、唾に喉を鳴らせる。
 体力の限界が、迫っていた。しかし、このまま戦いの場から離れて、全て残りをスタンに任せるというのは、堪らなく悔しいとも思う。
 それは悔しい、絶対に。
 強敵が二人、固まったために、オバケたちに、やや気後れする気配が見えた。
 その隙をついてロザリーは、せめて最低なことにはならないように、背中に向かって、提案をする。
「このままじゃ、ラチが明かないでしょう? だから……」
――だから、手を組みましょう。攻撃と援護に分かれて。と。
 悔しさが、ないわけではなかった。だが、任せっきりにするよりも、共に戦い合えるならば、悔しさよりも、そう――
――…我ながら、こんな時に不謹慎だわね……
 ロザリーは湧きあがる感情に、苦笑いをする。
 だがそれは、当然スタンの自尊に引っかかった。
「馬鹿をぬかせ! このくらい、余だけで一掃できるわ!」
「そのワリには、随分時間が掛かってるじゃない?」
「それは勝負のせいだ! 貴様こそ、その案…今になって、余に勝てる自信がないと踏んでのことであろうが?!」
「………」
 ロザリーは答えないで、図星を突かれたことに素直に苦い顔を見せた。スタンには、見えるわけがないと分かっているから、という理由もそこにあったのだが。
 しかしスタンも、ロザリーにそう言い返したものの、使おうと思えば使える威力の高い魔法を使わなかったのはなぜかと考える。
 無意識に、使おうとしていなかった。
 なるべく個々を、固まっていればその小さな集団を、討つ方法を使っていた。
 どうしてだかは、解らない。
 別に、倒した反逆者の数は数えていなかった。自分が勝つことは、はっきりしていることだからと、最初から決めて掛かっていたからだ。
 だが、もし、遊び気分で言った女勇者への勝負が、自分らしくもない、ちまちまとした、撃退法の言い訳だとしたら。
「……ふん。そんなワケはあるまいに」
 確かめるように声に出す。しかし、スタンが本気でこの魔族たちを一掃しようものならば、辺り一面が焦土と化すのは、彼自身にも目に見えた。
 なぜ、それを危惧するのか。そこまで、答えは出ない。
「え? なにか言った?」
「貴様には関係ない」と、短く息を吐いて、続ける。
「これしきのヤツらなど余のみで一掃出来るが、しかし余も、コレに飽き飽きしてたところだ。まあ、お前のその提案に乗ってやる、ありがたくおもえよ。それから、余が攻撃担当だからな」
 自分が炎を駆使するならば、氷を使う女勇者は、役に立つ。
「ま、アンタに他人のサポート出来るとは思ってないわ。それでオーケイよ」
「余の足手まといになるではないぞ!」
「はいはい」
 その会話の最後を皮切りに、2人は互いに背中合せとなったまま構えた。
 スタンの掌から現れた、それまでとは比べものにならないくらいの炎が、激しく空気を焦がした。
 下級魔族がたじろぐ。
「余の魔力を奪おうなどと、愚かな考え抱いたこと、後悔させてやろう!」
 啖呵を切ると同時に、操っていた炎を広範囲に渡りオバケたちに向かい叩き込む。
 灼熱に飲み込まれて、一面が視界を赤に変わる。そこに、ロザリーが、冷気を降り注がせる。
 敵の数体が、冷気の矢に巻き込まれ消滅した。
 立て続けに、ロザリーが、背後の敵に向かって、冷気の塊を放つ。牽制して足止める。
 それでも地面に刺さった氷塊を避けるように高く飛んで、向かってくるオバケはスタンにとって、格好の的だった。上方に向けてなら、いくら火炎を放とうとも、他に被害が出る事はない。
「ふん、他愛無い!」
「油断してんじゃないわよ! 右!!」
 ロザリーが魔法の防壁を作り出す。それに弾かれた下級魔族が、体勢を変えて再度突撃を試みる。
「余に指図するな!!」
 言い返して、寸前まで近付いたいたオバケを、その背後に群がる連中共々、とぐろ巻く火炎で焼き尽す。
 その闘う姿を見て、
「すごいや、2人とも…」
 ルカが、ものすごい勢いで減っていくオバケの群れを、呆然と見つめながらそう呟いた。
「ルカ、前!」
 マルレインの声に、ハッとなる。目の前に、オバケが何匹も接近していた。
 反射的に、自分に掛けていた強化魔法を、魔力の刃に換えて解き放つ。
 扇状に広がった波が、迫るオバケを打ち払う。
「ボクもしっかりしなくちゃね…」
 再び強化魔法を掛け直して、ルカは小さく舌を出し呟いた。
「随分減ったわね。どこか1箇所に集めて一気に片付けられないかしら?」
 背中を上下させて言うロザリーの言葉に、スタンは正しく邪悪な笑みを浮かべた。
「なるほど、よし」
「? 出来るの?」
 尋ねるロザリーには答えずにスタンは、ルカを見て声を上げる。
「おい、子分、こいつ等の気を引け! お前ならば出来るであろう?!」
「え!? ええ!? ど、どうして!?」
「こいつ等を一掃するからだ! 早くせんか!!」
 オバケを牽制しながら、スタンが苛立ちを露わに吼える。
 ルカより先に、スタンがやろうとしていることを理解して、ロザリーも汗を拭いながら、ルカへと叫ぶ。
「ルカ君、いいから早くっ、大丈夫だから!」
 ルカには、まだよく解らなかったが、2人が言うならば、と意を決する。
「はい!」と答えて、「マルレインとアニーは、家の中に入ってて」と少女2人を促す。
 青ざめたのはマルレインだった。
「き、危険よ、ルカ! 止め…」
「お姉様! 危なさそうだから、お兄ちゃんの言う通りにしましょ!?」
「で、でも…」
 ルカを不安そうに見るマルレインを強引に引っ張って、アニーが玄関の扉を閉めた。
 ルカは、後ろ手で扉が完全に閉まったことを確かめると、すべての敵意を自分に集中させる魔法を唱えた。
 オバケ達は、本来の目標であるスタンの横をすり抜けて、ルカへと迫る。
 ロザリーの呪文が飛んだ。
 ルカの眼前に、冷気を纏った結界が、聳え立つ。
「え?」
 突然のことに、その霜に煌く障壁を見上げるルカ。
 そして、次の瞬間。目の前が、紅く染まった。
 ルカを目掛けて放たれた、スタンの炎が、冷気の壁を這い登っていった。
 熱くは、ない。
 ロザリーの冷気が、ルカを守っていた。
 そして、ルカが見上げていた視線を、眼の位置に戻すと、今までそこに集まっていたオバケ達は見る影もなかった。
 ルカへはまだ向かわずに、スタンの炎から逃れたオバケ達は、完全に戦意を失って、逃亡を図った。
 それらを認めて、
「随分と逃がしたな…まあいい。これで余の魔力を狙うなど、2度とせんだろうからな」
 と、吐き捨てるように言うスタンを、多分、ロザリーは体力が残っていれば思いきり笑ってやっただろう。
 どこまでも、偽悪な魔王だと。
 やはり魔王の力を持っているのが、この男だからこそ――
――……世界も平和ってなもんよね?
 剣を杖代わりに立つ、今のロザリーは、そう思って、口元を緩ませることしか出来なかった。
 戦闘の痕を残しくたびれた庭先を見回して、周りにもうオバケがいないことを確かめたスタンは、自分から数間離れた場所で俯きがちに呼吸を整えようとしている――実際は、微笑を隠そうともしていた――そのロザリーを、一瞬だけ盗み見た。

 今度のことは、どちらが借りを、作ったのか。そんなことが、思われる。

 それは、どちらもどちらで、なんだかどうなのか、よく分からなくて、曖昧で、有耶無耶で、そのままになってしまいそうな、そんな結果だった。
 勝ちもなく、負けもない、かといって引き分けとか、ぬるいことを言うのも釈然としなくて、スタンは眉間に深くしわを寄せて、遠く景色を睨む。
 その横を、玄関から出てきたアニーが駆け足で通り過ぎて、ロザリーにだけ、水に濡らして来たタオルを渡す。
「ありがとう」と、冷たいタオルを手に、ロザリーは、噴水の縁に、足を投げ出して座った。
 頬に当てると、ひんやりとした感触が心地よくて、自然と和んだ息が漏れた。
 未だになにやら、表情に、不機嫌な感情を丸出しにしているスタンを、呆れながら遠目に見る。
 歯噛みするスタンは、ともかくとして。
 少なくとも、ロザリーは今回のこの出来事を。
――楽しかった。
 そう思った。
――……コレって、不謹慎よね、やっぱり……
 そんな風に思って、本音のところは胸の内にしまい込み、ロザリーはタオルを口元に、綻ぶ唇を隠した。
 そして、別なことを考える。
――…まずは、今夜から宿を取らなきゃね。それから雑貨屋さんで…………
 ちょっとしたラフな普段着も欲しいなぁ、とか、これからのことを、あれこれと計画するのだった。



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