081005 愛ってやつ |
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こういうことを書くのはきれいごとみたいで、少しためらわれるのだけれど、 今の気持ちであるのも事実なので、書き残しておこうと思う。 7月以来、彼とは連絡を取っていない。 それは、とても悲しいけれど、以前ほどこころがざわざわすることが少なくなった。 もちろん、誰かの恋の話を聞いたり、仲の良いカップルをみるたびに、 いいなあだとかうらやましいなあとか思うけれど、 ひりひり疼くような痛み方はしなくなった。 あんなにたくさん話をしたのに、分かり合えたと思ったのに、 どうしてだめになってしまったんだろうだとか、 別れる前の時期や別れの言葉を思い出すと酷く落ち込むけれど、 泣いたりすることはなくなった。 わたしを大きくかえたもの、今の気持ちに至れたのは、 彼からの愛だったと思う。 一時的で爆発的で、若さ故のものかもしれないけれど、 それでも、ほんとうに救われた。 甘い言葉も褒め言葉もたくさん言ってくれて、 自分が女なのだと、誰かに大切にされる存在なのだと、 はじめて実感できた気がした。 これは、わたし自身の自信のなさからくるものだと思うのだけど、 自分の存在意義を、恋愛にも求めていた。 自分で自分を認められない分、だれかに認めてもらいたかった。 だから毎回、わたしのことをすきだという人が現れる度、 「わたしのどこがすき?」と聞いた。(うざい女やね…) 気持ちの問題より、言葉のうまいへたに関わるものなのかもしれないけれど、 わたしをしあわせで安心な気持ちにさせてくれた男子は 今までふたりしかいなかった。 ひとりは彼で、もうひとりは男ともだち。 彼らは、わたしがわたしである意味を与えてくれた。 他のだれでもなく、わたしの考えやすきなものや、 そういったものをすてきだねだとか、そういうところがいいだとか、言ってくれたのだ。 ふつうの男子は(言語能力の問題もあるだろうけれど) 「わたしのどこがすき?」という問いに、 「やさしいところ」だとか「話しやすいところ」だとか、 誰にも当てはまるようなことを言った。 そういうのを聞く度に、 誰にでも吐ける言葉だし、わたしじゃない誰かでいくらでも替えがきくよと思っていた。 男ともだちは、わたしの言葉遣い、話し方、価値観をよく褒めてくれた。 それはほんとうに、すごくうれしいことだった。 自分にしかないものだと思えるから。自分が自分でいていいんだと思えるから。 一方彼は、わたしの日常の小さな仕草や目のつけどころを褒めてくれた。 自分でもしらなかったことをたくさん気づかせてくれたし、 わたしはわたしでだいじょうぶなんだと思わせてくれた。 そして、はじめて顔をかわいいとかタイプだとか言ってくれた男子でもある。 わたしはこれまで、男子から顔をかわいいとか美人とかいわれた記憶がほとんどなく、 (実際かわいくないから仕方ないことなのだろうけれど、) だから、その言葉は、ほんとうにうれしかった。 わたしをよろこばせるための言葉(つまりはお世辞)であったとしても、 そんなふうにちゃんと言葉に出して言われたことは一度もなかったから。 今まで何度か告白されたことはあったけれど、 それらの多くは、「やさしいから」すき。というものだったように思う。 わたしは偽善的なので、 今まであまりやさしくされたことのないだろう男子にでもやさしくできてしまう。 だから、そういう男子からの、 「やさしい」→「いいひと」→「すきだ」という思考回路に対し、 どうしても、ちがうのにと思ってしまう。 ほんとうの自分ではないのに、わたしの心からの気持ちではないのに、 といつも思っていた。 彼は、そういうことをしってしらずか わたしに対して、「やさしい」という言葉はあまり使わなかった。 そういうところもうれしかった。 悲しい気持ちや記憶を塗り潰して、愛されたという思い出だけを残したい。 愛された日々を強く記憶して、自分を少しでも肯定していたい。 愛って、 偉大。 |
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