2004年12月


12月16日

グレッグ・イーガン
万物理論

DISTRESS

訳者:山岸真
出版社:東京創元社(創元SF文庫)
装丁:岩郷重力+WONDER WORKZ
発行:2004年10月29日
ISBN:4-488-71102-2
定価:1200円

さあ、とうとうイーガンに手を出してしまいました。SFです。しかもネタはそのまま万物理論です。
万物理論(Theory Of Everything)とは、その名のとおり、この世のすべての自然法則を包み込む単一理論であり、現代物理学ではいまだ発見されていないものです。
2055年、無政府主義者による人口珊瑚島「ステートレス」での学会で三人の物理学者による三種類の万物理論が発表されようとしていた。果たして正しいのは誰か?
フランケンサイエンスといわれる過剰な肉体改造を取材し疲れ果てた主人公のジャーナリスト、アンドルーは、三人のうちの一人、ヴァイオレット・モサラの番組を作るべく逃げるようにこの島にやってきた。
しかしそこには過激な反科学「無知カルト」の抗議運動が渦巻いていた。彼に接触してきた「人間宇宙論」を唱える団体もその同類と思われたが、彼らの主張を裏付けるような異常な事態が起こり始める。そして世界的規模で発生し始めた奇病「ディストレス」とは…?
いやー疲れた疲れた。読むのに二週間かかりました。
SFは入り込むのに時間がかかりますね。ましてやこれ、ネタが凄すぎます。
万物理論そのものはやはりとても嘘とわかっていても理解はできず、まあしかしそこにこの話の主眼はないのです。
まず圧倒的に面白いのが、主に第一部で語られる奇想ぶっ飛びつつリアルな未来描写。
たとえば「死後復活」。これは、殺人事件の被害者を死んだ直後に短時間強制的に再生させて犯人を聞きだすもの。
また自らを古タイヤを食って生き続けられるように改造したバイオテク会社の社長。
ジャーナリストのアンドルーそのものが、ビデオチップと視神経を直結して見たままを録画できたり、いろんな機器やメモリなどを腸の中に仕込んでいたりしている。
男性、女性に継ぐ「汎性」という性の存在(中性とは違う。説明しにくいが)などアイデアてんこ盛り。
本題に入ってまずぶっ飛ぶのが、「人間宇宙論」という思想。これはすごいよ。ネタバレになるから言えんけど、この驚くべき着想が、じわじわと人類に広がりつつあった奇病、「ディストレス」と結びついた瞬間が最大の見せ場。まさにこれぞSF。センス・オブ・ワンダーです。
いやーというわけで面白かったのですが、理解度50%くらいであろうことを自覚しているので、手放しでは褒められません。難しいところです。一般的なお薦めもできませんね。チャレンジャーな方はがんばってください。


12月16日

森達也
世界が完全に思考停止する前に


出版社:角川書店
装丁:角川書店装丁室
発行:2004年10月30日
ISBN:4-04-883900-4
定価:1300円

森達也があちこちに書いたエッセイを集めたものです。
染みますね。やはりこの人の文章は。
とにかく易きに流されず、でも反骨精神とかではなく、「ちょっと待ってよ」と一歩止まって考えてみる。
そのスタンスがわれわれのような、「今のままじゃダメだってなんとなくわかるけど、でも流されるしかないもんなあ」という今の日本に数多くいる思考停止野郎にじんわりと染み込んでくるのです。
「他者に対する想像力を」森達也は常にこう言います。しかし、その「想像する主語はあくまで自分だ」とも言う。
一例。自分の弟を殺された男がいる。この手で殺してやりたいと思った犯人に下された判決は死刑。しかし、男は死刑囚と会い、手紙を交わすうちに考える。男は、ついには死刑廃止運動を始める。駅前でビラを配る彼に、通行人が「被害者の遺族の気持ちを考えろ」と声を荒げる。「わたしがその被害者の遺族です」そう応えると、通行人は気まずそうに去っていく。
「遺族の気持ちを考えろ」という奴が一番何も考えていないのは明らか。
染みます。どんどん、染みこんできます。たまらんなあ。
映像としてか活字としてかわかりませんが、現在森達也が追っているネタはなんと「天皇」らしい。没原稿「今上天皇の内なる葛藤」だけでもこの本は読む価値あります。ぞくぞくするよ。


12月23日

筒井康隆
笑犬樓の逆襲


出版社:新潮社
装丁:山藤章二
発行:2004年12月5日
ISBN:4-10-314527-7
定価:1500円

断筆解除後に「噂の真相」で連載されていたエッセイをまとめたものです。
断筆していた間の収入を補うために始めた役者業の顛末や、その他いろいろ時事問題や身近な店の案内やらを雑然と綴っています。
もちろん筒井康隆なので過激な部分も大量にあり、嬉々としてイラク戦争を煽ったりしてますが、どうもそういう意味での「過激さ」は今のツツイ的には不要じゃないでしょうか。なんだか無理やり過激に書いてるような感じで。
エッセイの奥に「いい人」ぶりが見えてしまうので、そういう過激な部分の違和感が出てしまうのでしょう。めちゃくちゃなのはフィクションのなかだけで十分ってことですか。
でも最近の筒井作品てほとんど読んでないんだよなあ。面白そうなのはあるんだけど。なぜか触手が伸びません。うーむ。


12月29日

大槻ケンヂ
我が名は青春のエッセイドラゴン!


出版社:角川書店(角川文庫)
装丁:杉浦康平
発行:2004年12月25日
ISBN:4-04-184713-3
定価:590円

おなじみオーケンアホエッセイです。
何とか女の裸を見るために下着メーカーへの就職を考えていたバカ少年時代からデビュー当時のバカロッカー時代を振り返るエッセイをメインに、いろいろなつかしテレビやらのネタが雑然と垂れ流されています。
相変わらず面白いのですが、肩の力が抜けすぎてるような気がしますね、最近は。
昔は何とか面白いものをひねくりだそうというパワーがありましたが、最近は「ま、どーでもいいやん」という感じがあってちょっとなあ。
自分のアルバムの宣伝をやたら書きたがるのもどうか。
解説の吉田豪も結局自分が知っていること、書きたいことを無理やり書いてるだけでマイナス点(吉田豪は凄く好きなんですが)。


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