世界の駄っ作機(裏)

成功したものにドラマがあれば失敗したものにだってドラマはある。

三菱・烈風

船頭多くして戦闘機艦攻になる

ジャンルを問わず、実力と実績がある人が行って、また絶対巧く行かなくてはならない場合でもこけてしまうことがある。実はその原因は外野がよけいな横やりを入れてということがままあることだ。自己のあずかり知らないところで失敗の原因を押しつけられた当時者の忸怩たる思いたるや、推して知るべしというか、つい愚痴の一つも言いたくなるのが人情だろう。
烈風という戦闘機があった。海軍17試艦上戦闘機である。ゼロ戦の後継機である。名機の跡を継ぐ戦闘機だから当然海軍の要望も厳しくなる。それは当然だが、昭和17年の設計開始に際して海軍は妙なことを言い始めた。格闘戦のために翼面荷重(機体重量を翼面積で除したもの)を130kg/m2以下にせよというのである。ここで少し思考実験をしてみよう。翼面荷重を一定という拘束条件でゼロ戦を誉エンジンに換装してパワーアップすることを考える。当然エンジンが重くなる。またパワーアップは速く飛ぶためだから機体構造の強化が必須である。また燃費悪化に伴い大型の燃料タンクが必要になる。すべての重量増に見合った翼面積増加のために仮に主翼を縦横10%大きくすると翼面積は21%(相似比の2乗)増加するが主翼重量増は33%(相似比の3乗)となり更なる重量増加を招く。加えて大型化した主翼に釣り合わせるために胴体を延長することや尾翼を大型化する必要も生じる。これが更なる重量増と主翼面積増を招く・・・堂々巡りの果てにできた機体は主翼面積ばかり大きい(=構造重量に占める主翼重量のむやみに大きい)機体となり、せっかくのパワーアップを帳消しにしてしまう。2乗3乗の法則の下では翼面荷重一定にと言うのは無茶なのだ。これは精神論ではどうにもできない物理の法則である。正しい設計のセオリ−は、翼面荷重を実現可能な適当な値に定めて機体の無駄な大型化を防ぎつつ、パワーアップを有効に性能向上に振り向けることだ。追記するとあれほど海軍が固執した格闘戦などというものは、米軍にサッチウィーブが徹底された大戦中期以降は有効な攻撃手段ではなくなっていた。
で、烈風である。どこで覚えたのか海軍の偉い人たちは翼面荷重などという技術用語を正しく理解せずに要求に織り込んだ。なまじ零戦がよくできたもんだから、海軍は三菱の技術陣は魔法でも持っているかと勘違いしていたようだ。海軍精神を注入すれば何でもできると。三菱技術陣の理論的な反論も聞き入れられずに、エンジン選定(誉vsハ43)を含めたすったもんだのあげく何ヶ月も無駄に浪費して、昭和19年5月にもなってやっと試作機が完成。翼面積30.9m2(零戦52型より45%も大)、自重3.1tonという試作機は艦攻のように見えたという。当然、間違った設計目標を反映した結果である。そしてエンジンは三菱設計陣の推奨したハ43ではなく出力に劣る誉である。果たせるかな、エンジンの不調のせいもあって試験飛行の結果はゼロ戦にも劣る無惨な性能となった。後にハ43に換装して性能改善したが結局戦争には間に合わなかった。性能に疑問があったとされる誉を積んだ陸軍の疾風が隼の後継として3000機以上生産されてそれなりに戦力になったのに比べて、海軍は主力戦闘機として最後まで旧式化した1000馬力級の零戦を使わざるを得なかった。三菱は零戦の正式の後継機を作ることが出来なかったのである。
歴史のifを考えた場合、本来のエンジン(ハ43)で実用化できたならば、戦争に間に合ってそれなりに活躍できただろうか? 件の大型主翼では、グラマンF6Fには多少の優位を持ち得てもエンジンパワーを有効に性能向上に振り向けたグラマンF8F相手には敵わなかっただろう。ましてやジェットのロッキードP-80相手には問題にもならなかっただろう。結局、海軍は強い戦闘機を作れ程度の要求でよかったのよ。問題は設計をするための手段である翼面荷重を、設計の目的にしてしまったという愚かさにある。こういう話は今もあるんだろうな、ジャンルを問わずに。