Long for nearby
その日は、スタンにとって最悪の1日だった。
彼が気分を害すのは、昼前に来た1通の手紙が始まりとなる。
ルカの家に居候し始めて――スタンは居候とは思っておらず、主人の面倒を子分が見るのは当然だと思っている――、早数ヶ月が過ぎていた。
魔王のくせにすっかり人間社会に溶け込んで、何かとテネルの村に足を運んだりもしている。
村の人々も「影になれる魔王の人」というワケの分からない認識でスタンを見ていて――特に何故か老人に構われ――、気さくに挨拶を掛けられる始末であった。
ルカの家に再び来た日の祭りの場で、ルカの影の中から真の姿で出てきたのがいけなかった。
どれほどウケたかというと、影の時とは比べ物にならないくらいに。
そして爆笑する村の者たちに、スタンは魔王としての威厳を微塵も見せつけることの出来ぬままになってしまったのだ。
そうこうしているうちに、スタンは新たな旅にルカを連れて行くために、この地を訪れたにもかかわらず「こういうのも悪かないな」と、ここでの暮らしを気に入ってしまい、もっぱら「日々の趣味は散歩」などという隠居じみた生活を送っていた。
そして、今日。
「は? なぜ余がこの手紙を子分に届けなくてはならんのだ?」
屋敷の門の手前で、郵便配達員に捕まりルカへの手紙を託され、不機嫌にスタンが言った。
「はい? 子分って? …まあ、いいや。あなた、だって、ココの人なんでしょ? いいじゃないですか、それくらい。じゃ、頼みましたよー」
えらく気さくに、そして無責任に、配達員はそう答えて、すたこらと村の方へ自転車を走らせて去っていった。
「あ、おいっ! 待たんか!!」
よっぽど追いかけて行って、その無礼な態度を後悔させるため、魔法でふっ飛ばしてやろうかと思ったが、わざわざあのような人間に構うのも馬鹿馬鹿しいと思い直して、手にした手紙に目を落とす。
それは少し厚みのある封筒たっだ。
表には、この屋敷の住所と子分の少年の名前が、バカ丁寧な字で書かれている。
裏に返して差出人の名を見て、そこでスタンの顔があからさまに歪む。
書かれていた名は、魔王が最も苦手とする人間の、女勇者のものだった。
「なんであの女が子分に手紙などよこすのだ?」
疑問が思わず声に出るが、答える者などそこにはいない。
仕方なくスタンはルカの元へ向かった。
ルカは自室にいるとマルレインに聞き、さっそく行って部屋の扉を蹴破るように蹴り開ける。
そのスタンに、ルカは読んでいた本から視線を上げて、抗議の声を上げる。
「スタン〜、ドアはノックしてって言ってるじゃんか〜。あとノブが壊れるから蹴らないでってば。次、壊したら5回目だよ?」
「細かいことをぐだぐだと言うな。お前に手紙だぞ」
「いや、細かくは…」と文句を言ってくるルカに、ポンっと封筒を放り投げてやる。
仕方なく文句を中断し、ルカは封筒を上手くキャッチして、差出人の名を見て一瞬気まずい顔をする。
「あの、スタン…これはそのー…」
ルカはいい訳でもするように、やや上目遣いにスタンを見て弁護を考えていると、
「余が直々に持ってきてやったのだ、七代先までありがたく思えよ」
ルカの言葉を無視して、恩着せがましくそれだけ言うと、スタンは部屋から出て、入ってきたときと同じように乱暴に扉を閉めた。
スタンは実際、聞きたいことが多少なりともあったのだが、それを問いただすのも癪に障るので、気分転換に早めの昼食でもとろうと台所へ向かった。
「……?」
スタンのことなので、いろいろ聞かれることを覚悟していたルカは、不思議に思いながらも安堵する。
魔王が戻ってくる気配もなかったので、ペン立てからペーパーナイフを取り出して、手紙の封を切る。
いつもより分厚めの手紙に、ルカは目を通す。
読み終えて、ルカは引出しの中に手紙をしまう。中には同じような封筒が整然と片付けられていた。
スタンは今日初めて知ったようだったが、実のところ、ルカはそれまでにも数度ロザリーから手紙を受けていたのだった。
本当はルカもロザリーに手紙を出したかったのだが――何せ彼女の探す魔王は家に居ついているのだから――、転々と旅する彼女に、そんなもの出せるわけもなく、ただ手紙を受け取る一方であった。
「ロザリーさんもなんで気付かないかなー…」
彼女には、魔王がまさか一民間の家に居るなどとは、想像出来ないのだろうか。
スタンの性格からすると分かりそうなものなのだが……。
――…それとも認めたくないとか…?…
そんなことを思って、ふと疑問が浮かぶ。
彼女は何を認めたくないと言うのか?
そこまで考えて、扉を叩く音にルカの思考は中断される。
「ルカ、お昼にするってお義母様が呼んでるわよ?」
扉の向こうからマルレインの声が聞こえた。
「あ、うん。わかった!」
引出しを閉めて、ルカは部屋を出て台所へ向かった。
スタンはとっくに食べ終わっているにもかかわらず、昼食の場に無駄に居た。
そのため、やっかいなことに巻き込まれ、いっそう機嫌を損ねることになってしまう。
「ああ、そうそうそうそう、皆? 今日は風通しがいいから、ちょっと地下室のものを陰干ししたいのよー。ご飯のあとに手伝って頂戴ねー?」
昼食時、唐突に母親がそう言い出した。
「あ、あたし無理! 勉強があるから!」
アニーがいつもの調子で面倒事から逃げる嘘をつく。
「あ、ボクがやるよ、お母さん」
「あたしもお手伝いします」
ルカとマルレインは仲良く引き受ける。
「さっすがお兄ちゃん!」などとアニーがおだてるが、これもいつもの事なので気にしない。
「スタンちゃんも手伝ってくれるー? お父さんお仕事だから重いもの運んで欲しいのよー」
母親がスタンに笑いかけると、スタンは不満げな顔で、
「余に力仕事だと? 却下だな、ふざけるな子分の母親」
と文句をたれた。
すると、一同が彼に言ってくる。
「スタン手伝ってよー」と困り顔でルカ。
「そうよ、あなたも居候なんだから当然でしょう?」たしなめるようにマルレイン
「いっつもヒマそうにしてるくせにー、スタンの役立たず」これはアニー。
「スタンちゃんて頼りになるんですもの、お願いよー」最後は母親。
4人に見つめられて、スタンは思わずたじろぐ。
「〜〜〜っ! あー! わかったわかった! やればいいんだろうが!」
スタンはそう言うので精一杯だった。
どうも親しい人間には、言葉は悪くとも、冷たくしきれないタチのようで――そのへんのことは、魔王たるスタンにとっては落ち込む話であった。
食事の後の休憩も終わり、片付けをしている母親だけ台所に残し、3人は先に父親の書いた怪しげな魔方陣の残ったままの地下室に下りていく。
「…あ」
マルレインが小さく声を漏らした。
彼女の後ろからついて歩いていたルカは、はっとして立ち止まる。
彼女の漏らした声の意味を一瞬にして悟ったからだ。
さらにその後ろで、丁度入り口をくぐろうとしていたスタンが、急に立ち止まったルカに抗議の声を上げようとして上体を起こした際、ドア枠に頭をぶつける。
そんなスタンに気付かずに、ルカはマルレインに遠慮がちに聞く。
「あ、あの、マルレイン? なんだったら手伝わなくていいよ…?」
「う、ううん。大丈夫よ…ちょっと驚いただけ…」
答えてマルレインは、それを見て続ける。
「…本当に、わたしそっくりね」
彼らの前には、かつて王女を名乗っていたあのお人形があった。
ルカは、そのお人形を見るマルレインに何も言えず――いやむしろ掛ける言葉がみつからず――ただ黙る。
ふと、ルカはマルレインを見つめ、思う。
彼女にとって、このお人形は、どういった存在なのだろうか。
過去の傷を思い出させることはないのだろうか、と。
マルレインが、お人形に寄り傍らにしゃがみ込む。
「?」
ルカが不思議に思い見ていると、マルレインはお人形の手を両手で持ち――その光景はまるで一人と一体が双子のような印象を与えた――、そして優しく握る。
「ありがとう…」
そっと小さく誰にも聞こえないくらいの声で、マルレインは呟く。
ルカに出会い、恋を得、真に生きることの意味を知ることが出来たのも、全て、このお人形があればこそ。
マルレインは心から、感謝するのだった。かつて魂を共有したこの目の前のお人形に。
「マルレイン?」
ルカも彼女の隣に腰を落として、マルレインの顔を覗きこむように見る。
うつむいた彼女が泣いているのかと思ったのだ。
しかし、マルレインはやわらかな笑顔でルカを見つめ返してきた。
「お礼が言いたかったの」
「うん?」
ルカには、今一つマルレインの言ったことが分からなかったが、彼女が笑っているのならそれでいいと、それ以上は聞き返さなかった。
そのかわりに自分も彼女に微笑み返す。
と、そこに茶々が入る。
「お前たち! いつまで自分たちの世界に浸っておるつもりだ!? とっとと作業に掛からんか!!」
頭はぶつけるわ、ルカとマルレインは自分を眼中外に追い出してるわで、スタンの機嫌の悪さは最高潮に達しており、スタンはそうがなり立てると、その辺りのものを一気に持ち上げ足音高く荷物を運び出す。
あまりにもスタンが乱暴に空気を引っ掻き回したおかげで、ただでさえホコリっぽい地下室は、ますますホコリっぽくなり、この場にいない犯人を非難するように、ルカ達は咳き込みながら、ようやっと作業に掛かるのだった。
スタンは昼間の――スタンにとって――不逞な出来事のストレス発散のため、夜歩きに出ていた。
散々な1日をなるべく振り返らぬように、空を見上げる。
空は晴れ渡っていたが、月は出ていなかった。
どうせ眠る必要性はないのだ、少し遠出でもするか、と思った矢先に、背後で空間を渡る極微小の空気の振動を感じる。
「?」
振り返ろうとして、いきなりそのスタンの後ろ首根っこを凄まじい勢いで押さえ込むものがあった。
「…っな!?」
強力な力で押さえてくるそれは、人の――首に当たる感触と大きさから、まだ子どものように小さく、また恐ろしく冷たい――
――手。
払いのけ振り返ろうとしても、全く首を動かせないスタンには不可能なことで、さらにその手は指を首に突き刺すように食い込ませてくる。
「……っ!」
苦痛に歯軋りし、なんとか首後ろに腕を伸ばし、その手を掴み抵抗する。
――…な、なんだ!?…
そこでスタンは気付く。
――…余の魔力が…っ!…
その手が、彼の魔力という魔力を彼の内に凝固させてゆく。
魔法を使おうとしても、凝固された魔力を外に解放することが出来ずに不発に終わる。
全身の血が凍結するような感覚に、意識が朦朧としてくる。
――…なんて日だ、今日という日は…
スタンは薄れる意識の中、誰ともつかず罵倒を浴びせながらも、危険を感じて、精神と残りの魔力を肉体から切り離して、影に転じ地に逃げ失せる。
月の無い夜、闇の世界に沈んだスタンは表世界に出て来れなくなり、その後、自分の体がその『手』と共に消えたことを知ることは出来なかった。
夜が明け、朝日が昇り出づるころ、ひとつの黒い水溜りのような物体は、さまようように自分の住まう屋敷に向かって弱々しく進み出した。
深い闇の中、一点の光が走った。
光は、その闇よりもなお暗い闇と衝突しては拡散し、再びそれを繰り返す。
光の中に人影が見えた。
――っ!? ロザリーさん!
ルカは驚き声出すが、その声は自分には聞こえなかった。
――…戦ってる?…
ロザリーは正体無き暗黒と必死に戦っていた。
ロザリーが幾らかの傷を負わされ、劣勢のようだった。
光の中、彼女の顔に苦悶の表情を見る。
自分も手伝おうと、ルカは走り出そうするが、体が動かない。
見えない力に押さえつけられているようだった。
――ロザリーさん! ロザリーさん!
確かに出しているはずなのに、やはり聞くことかなわない声で、ルカは叫ぶ。
ロザリーはルカに気付かず、戦い続ける。
そして、彼女は暗闇に弾かれ、倒れ転がった。
闇がそれを好機とばかりに、彼女にトドメを刺すよう迫る。
――っ!?
ルカは息をのむ。
刹那、体勢を整え直した彼女のレイピアが繰り出され、闇を深々と突き貫いていた。
状況を一瞬遅れてから把握し、ルカはほっとして息を吐く。
正体無き闇がさらさらと崩れていった。
そして、崩れ落ちた闇の中から人が現れる。
――…え…?
胸に、ロザリーの剣を突き立てられた人物は、ルカのよく知った者。
――…っスタン!?
スタンは、レイピアに貫かれてもまだ微かに生命が残っているらしく、剣を持ったロザリーの腕を掴んでじりじりと引き寄せて、その魔力を込めた爪を一閃、彼女の首を掻き切った。
ロザリーの頚動脈から、血液が吹き出る。
そして二人の生命は尽き、倒れ、闇の中に消滅した。
「………っ!!」
驚きと恐怖とで、ルカは叫びながら――そしてその自分の叫び声で――跳ね起きる。
――……ゆ、夢…?…
びっしりと汗を掻き、ルカは苦しくなるほど激しく脈を打つ心臓を押さえた。
なかなか収まらぬ呼吸を半ば無理やり整えて、自分の部屋を見まわす。
暗く、明かりの無い部屋は先ほどの恐ろしい夢を思い出させた。
震えが走り、思わず部屋に明かりを灯す。
「……なんであんな夢……」
声に出すことで恐怖を打ち払おうとしたルカだったが、その恐怖は消えることは無かった。
そして同時刻、別の場所で、ルカと同じ夢を見る者がいた。
「……なんであんな夢……」
ロザリーは、少年と同じ夢を見て、同じ疑問を呟く。
そして彼女は妙な胸騒ぎを覚え、自らの肩を抱き、窓の外、月の無い夜空を見上げる。
そうまさに、スタンが大変な事態に陥っていたその時に、ルカとロザリーは、なんの偶然か、その不吉な夢を見たのだった。
某地某街某宿食堂。
「ん〜、眠いわねー…」
欠伸をかみ殺して、ロザリーは独りごちる。
あの月のない晩以来、彼女は毎日あの夢を見るのだった。
今日でちょうど10日になる。
気に掛かる夢と寝不足とで、食欲もなく、出された朝食もろくに取らず、目の前のサラダをフォークで突っつき弄んでいると、向かいの壁からいきなり、見覚えのあるオバケが出現した。
「っ!?」
ぼんやりしていたので、突然のことに声も出ぬほど驚く。
「やっと見つけましたぞ! 女勇者殿!!」
こちらに走り寄ってきて挨拶もなく、タキシードのオバケ――ジェームスは、そう叫ぶ。
「………???」
ロザリーは呆然と尋ねる。
「……えっと、あの……確か…ジェームスよね? 何だってあのバカ魔王の執事が現れるわけ?」
「ううう、よくぞお聞き下さいました!」
この状況下で、それ以外にどう聞けばよいというのか。
ジェームスは手にしたハンカチを握り締めて、ロザリーにことの次第を語り始める。
「数日前のことでございます! ワタクシが坊っちゃまのもとへ参りましたところ、坊っちゃまが…あのようなことになられてしまっていようとは〜……およよよよよ……」
いきなり涙するジェームス。
全くワケがわからない。
分かるのは、スタンに何かあったということだけだ。
「ちょっと落ちついて! あのバカがどうしたのよ!?」
強い口調でロザリー。
あの夢を見続けていることと、この執事が現れたことは単なる偶然なのだろうか、と考えがよぎる。
「坊っちゃまは…坊っちゃまは…」
目頭をハンカチで押さえて、ジェームスは大変な出来事を告げる。
「また影のお姿でしかいられなくなったのでございます〜!!!」
「な、なんですって!?」
ロザリーは、ガタンっと椅子を蹴って立ち上がる。
「どういうことなのよっ!?」
執事の胸倉をつかんで詰め寄り詰問する。
「ああああ、そのように異常接近されてはワタクシ動悸がドキドキ…あ、いえいえ」
さっきまで泣いていたくせに――もしや演技か?――、妙にタワケたことを言うジェームスに睨みをきかせると、ジェームスもさすがにふざけた態度を改める。
「…えー、詳しいことは子分殿のお屋敷でお話いたしますので…それに皆様ももうお集まりになっておりますぞ」
「みなさま?」
執事に掴みかかっている手を離し、尋ねる。
「はあ、女勇者殿が最後ですので。このままワタクシがご案内いたしますが、よろしいですかな?」
「え? ええ……」
あの魔王のところに連れて行ってくれるというのなら、ロザリーにとっては願ったりかなったりだ。
「では失礼して、お手を」
ロザリーは出された執事の手の上に、自分の手を置く。
一瞬の浮遊感のような落下感のような感覚のあと、彼女の視界が一変した。
「あ、ロザリーさん…よかった見つかったんだ!」
部屋――ルカの家の暖炉のある居間――に現れたジェームスとロザリーを認め、腰掛けていた椅子から立ち上がりルカが声を上げる。
そのほかには何故か、かつて旅路をともにした仲間、キスリング、ビッグブル、リンダ、エプロスが揃っていた。
ロザリーを見るルカの、その顔に元気はない。
「ルカ君、それに皆、ひさしぶり……ねえ、いったい何があったの? スタンが影のままでしかいられなくなったってどういうこと?」
ロザリーが神妙な顔つきで尋ねる。
またジェームスもルカに質問する。
「こ、子分殿、坊っちゃまのご様子はいかがですかなっ?」
「……ボクにも、分かりません…それに、スタン、全然、姿を見せないんだ…」
影に視線を落としてルカ。
旅をしていた時は、スタンは、放っておいても何かと出現しては騒ぎ立てていたのに、ここ数日姿を見せることはしなかった。
皆もまたルカの影を見る。
「……じょ…冗談じゃないわよ……」
ロザリーが口を開く。
「? ロザリーさん?」
顔を上げて、ルカは、スタンの潜む影を睨むロザリーを見る。
「人が探しまくってる間、実はルカ君のとこに戻ってきてたってだけでもいいかげん馬鹿馬鹿しいってのに! その上影の姿でしかいられなくなったですって!? また 魔力がなくなったってゆーことなの!? ……っあたしの影、どうしてくれんのよっ!? 出てきて答えなさいよ! バカ魔王!!」
「ま、待ってロザ…っ」
まくし立てるロザリーを押さえようとルカ。すると、
「……ぎゃいぎゃいと…相変わらず小うるさいヤツだな…高周波騒音女…」
ルカの言葉を遮って、ゆっくりとその彼の影から黒いオーラを纏ったスタンが、仮の姿で現れる。
しかし、その言葉にはいつもの勢いはない。
実のところ、スタンは、影の姿でこの世界に現れることすら辛かった。
今のスタンには、生の活力ともなる魔力というものがほとんど残っていない状態なのだ。
そうであるというのに、この女勇者にバカ呼ばわりされっぱなしでいるのが許せずに、世界に現れる。
「…貴様の、影のことなど…余の知ったことか……と、言いたいところだ、が……」
途切れ途切れに、言葉を発する。
「……………なに、よ?」
ロザリーもさすがに、そのスタンのいつもと違う様子に気付いて、覇気を喪失する。
スタンは、あの何者かに魔力を凍結らされた時のことは、ほとんど覚えていなかった。
だから、どう言っていいものかわからずにこれまでルカにもジェームスにもあの日のことは話していない。
ただ、何者かに魔力を奪われた。それも根こそぎ。
認識しているのはそれだけだった。
「……余は……」
このような情けない話を、この女勇者に話すのはかなりの抵抗があるのだが、不意打ちとはいえ、大魔王の力を奪っていった者を相手にするとなると、大勇者の力を有したロザリーの協力は必須だった。
故に、意を決して話す。
「……何者かに…魔力を奪われた…10日ほど前だ…」
初めて理由を聞かされるルカとジェームス、そして他の者、そして10日という言葉にロザリーは驚く。
「……つまり……余の魔力を奪った…不届きな輩を打ち倒すのに手を貸せば、直してやってもよいと…そういうことだ……」
そして「……せいぜい、余のために働くがいい」と言葉を吐いたかと思うと、スタンはルカの影の中へと還える。
「あ、ちょっ…!」
たったそれだけの情報でどうしろというのか。スタンはそれ以上影から出ては来なかった。
ロザリーは、またこのパターンなのかと溜息をつきたい心情で、肩を落とす。
「バカ…情けないったらないわね…」
ルカが見た、影にそういうロザリーの顔は、怒りでも嘲りでもなく、スタンを心配するかのように目を伏せたものだった。
「実はだね……今、スタン君が言ったので思い出したのだが…」
と、キスリングが急に話題を振り出す。
「ロザリー君、君は気付いていないかな? どうやら、この世界に再び分類が課されているようなのだということに。それもスタン君が魔力を奪われたという10日くらい前からね」
「……はい?」
学者の言葉をすぐに理解できずにロザリーは呆ける。
キスリングが言うことには、フィールドワークに赴き大好きなオバケの調査をしている際に、オバケに分類が戻っているらしいことに気付いた、ということだった。
それで、急いで他の土地のオバケも調べ、やはり分類が戻っていることを確信した、というのだ。
それまでの所要時間はたった2日。そのことを聞かされて改めてキスリングのコアな広い人間関係に驚かされた。
そんな折、スタンの異常事態にキスリングの知恵を借りるため、ルカに頼まれたジェームスが彼を連れに現れる。
キスリングはルカにその話をして、仲間たちに召集を掛けさせた。
ロザリー以外のメンバーはすぐに集まった。もちろん彼らにはすでに分類のことは話してあった。
そして、行方の分からぬロザリーの到着を今の今まで待っていたら、キスリング自身がそのことをすっかり忘れてしまっていたらしい。
「まあ、これまでにもそれなりに原因は考えてみたのだがね。どうにもこうにもラチが明かないのが実状なのだよ。まったくもって原因不明というところだね」
キスリングはお手上げだと言わんばかりに肩をすくめる。
「あのオジサンがぁ、またやったんじゃないかっていう意見も出たんだけどぉ〜」
横から、「はいはーい」と片手をまっすぐに上げて、発表する子どものように言うリンダ。オジサンというのはベーロンのことらしい。
「オレ達でそれなりに調査してきたっス!」
鼻息荒くビックブル。
「調査?」と、ロザリーが尋ねると、
「ああ、世界図書館のあった場所を見てきたんだが、崩れ落ちた時のままだったよ」
暖炉脇に持たれかかったエプロスが説明を加える。
「そんな…じゃあ、どうして…?」
ロザリーの言葉は、その場にいる者すべての者がもつ共通の疑問だった。
故にその問いに答える者は、一人もいない。
沈黙が続いた。
しばらくして、ルカが深く溜息をつく。
「……ルカ君、どうしたの?」
ロザリーが気付いて聞いてくる。
ルカは、むろんスタンのことも心配だったが、もうひとつ何より心配なことがあった。
「あ……ロザリーさんにはまだ言ってませんでしたね……実は…」
マルレインのことを話す。
ロザリーは、他の仲間同様に驚いて会いたいと言って来た。
しかし、ルカは首を横に振る。
まさしく、そのマルレインがもうひとつの心配ごとだった。
「マルレインも…10日くらい前から…」
眠ったまま目を覚まさない。
医者は呼んだ。だがサジを投げた。
父親が怪しげな魔術モドキを使おうとするのを必死で止めて、今はただ眠りつづける彼女の目が覚めるのを待つだけだった。
「そんな…」
まったくワケのわからないことばかりだった。
夢。
スタンの魔力を奪った者。
再度配された分類。
眠りつづけるマルレイン。
考えてもロザリーには何がなんだかさっぱり分からない。
「…夢の…ことも…」
「えっ?」
ルカの呟きに、ドキッとしてロザリーが声を上げる。
「あの…ロザリーさん…ちょっといいですか…?」
ルカが部屋の外にロザリーを促す。
「え、ええ…?」
仲間たちが、不思議そうな顔で見ている中、ルカとロザリーは玄関ホールへと向かった。
ルカは暗く影の出来ない場所を選ぶと、そこに自分の影が出来ないように立ってロザリーを手招きする。
「…どうしたの?」と不信げに尋ねるロザリー。
「…最近ずっと変な夢、見るんです」
と、切り出すルカ。
「ゆ、夢…?」
ロザリーは動揺を隠せずに、言葉を詰まらせ、オウム返しに尋ねる。
「スタンには、言ってません…だから聞かれないようにしたくて…」
ルカの言葉は、ハタで聞いた者には通じない順序で吐き出されている。
しかし、ロザリーには、夢とスタンという言葉から連想される心当たりがあるのだ。
彼女は、不安で徐々に鼓動が早くなるのが分かった。
「も、もしかして…その夢って…あたしと、スタンが刺し違えて…?」
震えた声のロザリーに、ルカが大きな目をさらに驚きで広げて見つめる。
「えっ…どうして…? …ロザリーさんも、まさか…?」
「…………」
ただロザリーはコクリとうなずく。
「毎日ですか…?」
ルカの問いに、やはりうなずくだけのロザリー。
「10日くらい前から…?」
しっかりとルカの瞳を見据えてうなずく。
「ボクとロザリーさんが同じ夢を…?」
ルカは視線を床に落とす。
「…単なる偶然ってわけじゃなさそうね…」
ロザリーも腕を組んで考えこむ。
「ボク、思うんですけど…」
顔を上げ、ルカはやや自信なさげな表情でロザリーを見る。
「ん?」とロザリーはルカの話を聞く態度を示す。
「あの夢って…その…あの時のコトなのかなって…」
「……あの時?」
その言葉だけでは思い当たる節が無いのか、ロザリーが理解していない顔をするので、ルカはあまり言いたくないあの時のことを口にする。
「はい…ほら、世界図書館の奥でベーロン、さんが……『大魔王の』スタンと、『大勇者の』ロザリーさんを戦わせたじゃないですか……」
「ああ」と苦笑混じりにロザリーが相づちを打つ。
「アレね。…でも、あの時は君が助けてくれたじゃない?」
だから今、まだこうしてココに生きているわけだと、ロザリーは心底ルカに感謝をしながら続ける。
「ヘタすりゃ、あの夢が現実になってたワケだけど…分類も消えたわけ、だ、し……」
ロザリーは言いかけた言葉に、眉を寄せてルカを見る。
ロザリーの思惑を汲み取りルカはうなづく。
「……今また分類が戻ってるんです…」
静かな口調でルカは目を伏せる。
「最初あの夢は、単に過去の出来事が最悪の形に歪曲されて見たものかと思ったんですけど…」
ルカは言いよどむ。
初めてあの夢を見たときは確かに、ルカはそう考えた。バカな夢を今さら見たものだと思ったのだ。
しかし、その矢先にスタンが影の姿で戻ってきたと思ったら憔悴しきっているし、マルレインはその日から昏々とした眠りに落ちたまま。
そして連日繰り返される、友人と元旅仲間の殺し合いの夢。
一度にたくさんの手におえない事態が起こり、ルカの精神はかなり追い詰められていた。
「キスリングさんの話を聞いてから、もしかしたらあの夢は、これから起こることなんじゃないかって……これって、考えすぎでしょうか…?」
言ってルカは下唇を噛む。
「……これから起こること、か……」
ルカの言葉を繰り返してロザリーは呟く。
夢と分類のことを考えると、その可能性はなくはない。
しかしそうなると矛盾が生じる。
「でもルカ君、スタンは魔力を奪われたのよ? そのスタンとあたしがどうやって戦うっていうの?」
「そう、ですよね……じゃ、やっぱりボクの考えすぎなのかな」
深く溜息をついてルカはうつむく。
ロザリーはその少年の肩に手を置いて
「ルカ君、スタンやマルレインのことで辛いだろうけど、今は……とにかくこの事態をなんとか解決しなくちゃ、ね?」
微笑みかける、元気のない笑顔で。そのロザリーに、ルカは落ちこんだ顔のまま答える。
「……はい…………でも、ロザリーさんも、辛いんじゃ、ないですか…?」
「……ん……?」とロザリーは、ルカには答えないで、その足元を見ることしか出来なかった。
そこに玄関の扉が勢いよく開かれた。
「あー! お姉さま〜♪」
ホールの脇に立つロザリーを見つけると、その扉を開けた人物は一昔前なら「黄色い声」と言われる、高いちょっと作ったような、そんな声を上げた。
「あら、アニーちゃん。お久しぶりね」
出かけ先から帰ってきた様子で玄関の扉に立つ少女に、ロザリーは笑いかける。しかしその笑顔は晴れたものではなかったが。
「やだー、もういつ来てたんですかぁ?」
アニーはロザリーに走り寄り、見上げる。
「ついさっきよ。なんか大変なコトになってるみたいだからって、ね」
「大変なコト? あ、マルレインお姉さまのことですか?」
アニーは聞いてくるが、「うん、まあ」とあいまいに答える。
その答えに納得したのかしてないのか、アニーはそれ以上聞いてこなかったが、そのかわりとんでもないことを口にした。
「そうそう! お姉さま聞いて下さい! 今聞いた噂なんですけどっ、なんでもリシェロの遺跡に大魔王が出たらしいんですよー!」
『……は?』
ルカとロザリーは声をハモらせる。
いや、ハモったのはその二人の声だけではなかった。
いつの間にか、暖炉あるの部屋の入り口に団子状態になってこちらを伺っていたジェームスを始め、キスリング、リンダ、ビッグブルの四人と、その上にプカプカと浮かんだエプロスの声もかぶっていた。
つまり、一人ケロッととんでもない発言をした少女を除いた全員の声が、その場でものの見事にハモったのだった。
ロザリーの隣に立つアニーの発した言葉を信じられずに、困惑した表情のまま、ルカは妹を見つめた。
「アニーちゃん…どういうこと…?」
ロザリーもまた、信じられないといった様子でアニーに尋ねる。
「どういうって……怖がりのオジさんが、怖い怖いって言いながら、ウワサしてたんですー」
細い人差し指を、自分の口元へ持っていき、アニーは答える。
ルカは、そのアニーに近づいて、
「……アニー、本当にそれ、聞いたのか…?」
少しばかり兄らしい口調で、妹の両肩を掴む。
「うん、聞ーたよ。しっかりね。なんかねー、大魔王がリシェロの遺跡に、王女様を幽閉しちゃったんだってさ」
やはり、単に、世間話をするかのような口調でアニーは、言ってのける。
『っええええっっっ!?』
驚き、一同、またもや声を、ハモらせる。
どやどやと暖炉のある居間から、仲間たちがルカらの方へと急ぎ寄って来て、アニーを囲む。
キョトンと、その一同を、少女は「どーしたの?」と見上げる。
「王女様ってぇ〜、王女様のことですよねぇ〜?」
リンダが首を傾げて歌うように言うと、
「あの男の、娘のことだろうな…」
エプロスが、腕組みしながら、ルカを見る。
その横ではビッグブルが「組長ッスよ! 組長ッスよ! 組長ッスよ!」と、騒ぎ立てている。
「だけど……って、ちょっと、ブル、うるさいわよっ!」
ロザリーの一喝に、「スミマセンッス、姐さん!」とブルは直立不動になって詫びを入れる。
「だから、姐さんってのは…」と、言いかけてロザリーは、そんなことを言っている場合じゃないと思いなおして、ルカに向き直る。
「…だけど、ルカ君。マルレインは確か…」
「はい、ずっと部屋で、眠ってますよ?」
不可解な顔で、アニーの肩から手を下ろして、ルカはロザリーの方を見る。
「これは興味深い! もしそれが本当なら、部屋で眠っているお嬢さんとは別に、もう一人王女様がいる、ということになるね!」
何故かキスリングだけは、目を輝かせて頷いている。
そのキスリングの言葉に、リンダが両手を頬に当てて、
「きゃ〜、もしかしてあのオジさんの隠し子〜?」
と、なにやら歪みまくった発言をする。
そんな兄の友達を尻目に、アニーはルカを見上げて、
「…あのさ、お兄ちゃん。なんでマルレインお姉様が、そこで出てくるの?」
と、アニーにとっては、いかにもな疑問を口にする。
「…あ…いや、そのー…」
ルカは口ごもる。
マルレインが、かつてこの世界の王女の役をやっていたことは、家族の者は知らないことだった。
いや、その言い方は妥当ではない。
マルレインが王女だったことは仲間たちしか知らないことなのだ。
しかも、その王女マルレインもまた、本物の彼女ではなく人形の少女。
そのことは、マルレインのためにも、誰であろうと話したくない、とルカは考えていた。
「……なんでも、ないよ。そうだ、アニー。マルレインの様子、見てきてくれないかな?」
ルカは、アニーには的確に答えず、そう言った。
「うん、いいけどー?」とアニーは――あまり頓着が無いのか――、ルカに背中を押されて、階段を上り始める。
「ああ、そうだ、アニーちゃん」と、そのアニーをロザリーが呼び止め、続ける。
「その、リシェロの大魔王ってのが、いつ現れたのかは、分かる?」
「あ、はい! えーっと……」
「大…魔…王…だ、と…?」
アニーの声を打ち消して、低い声が、ホールに響く。
ルカは、しまったと、心の中で叫ぶ。いつの間にか影のできる場所に出てきてしまっていたと後悔するのと同時に、ずるりと、ルカの影から、スタンが現れ「何の話だ…?」と、ルカをはじめ、一同を睨み付ける。
「……子分、答えろ。余の知らんところで……何が、起きている?」
背後に現れたスタンに向き直り、ルカは気まずそうな顔で、スタンを見た。
影のスタンの、いつもは大きな黄色い目が今は、細められている。その表情からでは怒っているのか、具現するのが辛いのか、ルカには分からなかった。ただ、その物言いは、やはりいつものような勢いは、無い。
ルカは、主であり――彼がそう言っているだけだが――、友人である――ルカは少なくともそう思っている――スタンを真正面から見て、答える。
「アニーが聞いてきた噂なんだけど…あくまでも噂だよ? …リシェロに大魔王が……王女様を幽閉してるって…」
「……ん、だと……? 大魔王は余だ…余以外に…大魔王を、名乗れるものなど……おらん、のだぞ……」
ぶつぶつと――まるでそれは自分に言い聞かせているかのように――呟くスタンの隣に寄り「えーえー、そうですとも坊っちゃま。坊っちゃま以外に大魔王は、おりませんとも!」とジェームスが、念を押すように言う。
「あー、私が思うに、そのリシェロの大魔王とやらが、スタン君の魔力を奪った者ではないかな」
「そうでしょうね…で、アニーちゃん、いつから現れたの?」
キスリングの意見に同調して、ロザリーは先ほどと同じ質問を、階段の踊り場に立つ少女に、問い掛ける。
「一週間くらい前からだって、オジさんは言ってましたよ。そういえば、スタンも魔王だったっけ? あ、じゃあ、お兄ちゃん。アタシ、マルレインお姉様の様子、見てくるねー」
ひらひらと片手を振って、アニーは階段の上、部屋に続く扉の奥へと消えていった。
普段なら「そういえばとは、なんだっ!」と怒るスタンも、今は口をきく気力すらないものだから、大人しくしていた。
アニーの消えた扉から、視線を仲間の方へと向け、ロザリーは深刻な顔を見せる。
「ほぼ一週間前か…意味深ね。これで、すべてのことが10日以内に起きたことになるわ」
「とにかく、事態を、もう1度整理してみようか」
と、キスリングは、話し出す。
「まず……」10日前スタンの魔力が奪われる。何者に奪われたかは、分からない。
「次に…」その後、おそらく、ほぼスタンの魔力が奪われたのと同時だろう、分類が戻る。
――…夢を見出したのも、その頃からだ…とルカとロザリーは、目線だけで、示し合う。
「その翌日から…」マルレインが目を、覚まさない。今も、眠ったままである。
「そして…」リシェロの大魔王の噂と、謎の王女の存在。
髭を撫でて、キスリングは簡潔にまとめ、「さて、どうするかね?」と、一同を見回す。
「とにかく行って確かめるのが先決ではないか? その大魔王と、王女とやらを」
エプロスが、さらりと言ってのける。
皆も顔を見合わせて、それしかないだろうと、頷き合った。
事の次第が決まってからの、行動は早かった。
リシェロまでなら、そうそう時間も掛からない。
つまり、それほど手の込んだ旅支度は必要ないわけで、皆は一度解散した後、身支度を整えて、再びルカの家の玄関ホールに集まった。
一同、集まった中に、一人だけ、未だ現れぬ者がいた。
ルカ。
彼だけがまだ、集合場所には現れていなかった。
しかし、一同はなんとなく、少年が、どこにいるのか分かっていたので、あえて口にする者はいなかった。
――きぃ、と扉が鳴く。
「アニー、マルレインは……?」
少女の部屋を訪れ、彼女の傍らに座る妹に、少年は、小さく聞いた。
声には出さず、ぷるぷると、首を横に振ってアニーは応えた。
マルレインには目覚めて欲しいのだが、それでもなんとなく、眠っている人の横では、声をひそめてしまう。
「……じゃあ、アタシ出てるね?」
と、やはり小声でアニーは言って、席を立ち、部屋を音無く立ち去った。
ルカは、マルレインの横たわるベッドの脇の腰掛けに、ちょこんと座って、彼女を見つめる。
旅仲間の皆には眠っていると言ったのだが、医者が言うには、今の彼女は仮死状態に近いそうだ。
なぜ、このような状態に陥ったのかは、全く不明。
しかも、もう10日になるのに、依然少女は、食事も取っていないのに、こうなる以前と同じ、血色良い顔でいる。
とはいえ、いろいろと、母と妹で世話はしているようだが、ルカには預かり知らないことだった。
ルカは、大きな目を伏せがちに、心で呟く。
――君は、ここに居るのに…
王女様が他に、居る。
――スタンとは違う、大魔王を名乗る誰かに…
幽閉されて。
――リシェロに行けば、きっと何かがわかるはず。だけど……
君を、目覚めさせる方法があるかは、分からない。でも、
――待ってて…
ちょっとだけ、行ってくるから。
「……………」
自分でも、聞き取れないほど小さな声で、傍らの少女の名を呟く。
笑顔が、見たい。声が、聞きたい。
ボクに、笑い掛けて、話し掛けて。
――…………ボクは……
いつの間にかこんなにも、少女に対して、欲張りになっているを、自覚、した。
彼女の傍にいるだけで、幸せであると思っていたのに、こうやって今、傍に居ても、ただ辛い。
そして……だから。
取り戻したい、助けたいと、そう思う。
「行ってくるね、マルレイン…」
ルカは立ち上がり、力無く、微笑む。
そして、そっと部屋を後にした。