わかちのつか



 岩壁に囲まれた歯車の街マドリル。
二層に分かれたこの町は階上階下に住民が住み分けられ、それを繋ぐ唯一の手段エレベーターが街の発展の著しさを物語っている。
分類の枷が外れて――理由はそれだけでは無いのかも知れないが――仲違いをしていた住人たちの交流は少しずつ増えてきているようだ、とは奇天烈オバケ学者の談である。
 その学者キスリングが、ある日の正午、街に滞在する女勇者に仕事の話を持ちかけた。
「最近、この近くにあると分かった古い塚穴なのだがね」
 仕事の話も兼ねて昼食も一緒にどうかと誘われ、女勇者は一階エレベーター前の食堂に訪れた。
 やけに機嫌の良さそうな顔をしたロザリーの隣には、彼女とは正反対に不機嫌にしかめ面の男が座っている。眉間の皺がもともと人相の悪い顔をさらに凶悪に見せていた。
 その黒ずくめの男は食事だけはしっかりと取りながら、時折「何故、余が勇者の仕事の打ち合わせに付き合わねばならんのだ」などとボヤいては、フォークに突き刺した鶏肉でソース皿を憎々しそうに掻き回していた。
「塚穴って、お墓ですよね? その調査ですか?」
 女勇者は隣の魔王を完全に無視する。学者は寝癖かセットなのか判らない爆発した髪を揺らせて頷いた。
「そうなのだよ。もしかすると新種のオバケちゃんがいるかも知れないと思ってね。私も同行させてもらうよ」
「ええ、かまいませんよ」
 ロザリーは快諾し、そこでやっと昼食のサンドウィッチに手を伸ばした。
「いやしかし、キミたちがまだ居てくれて助かったよ。前にハイランドの方へ遠出すると聞いたから、もう街を出てしまったのではないかと思っていたんだが」
 キスリングはコーヒーを啜る。学者の質問に、ロザリーは紅茶で口の中のハムサンドを喉の奥に押し込んだ。
 今回キスリングから仕事の以来を請け負う前に、挨拶がてら、彼と懇意にしている研究所へと訪れた時には、高台の村どころか開かれた外の世界へも行こうかという勢いだったのだが、こうしてまだマドリルで仕事を探している始末である。学者にとっては意外であったのだろう。
「えっと、まあ……それには已むに已まれぬ事情があると言いますか……」
 歯切れの悪い返事をする女勇者を、金髪の黒スーツが鼻で笑った。
「金欠のせいだ。ここより田舎は仕事がなくなると、この街から出られんらしい」
 彼女に代わって懐事情を暴露した。
 なるほど、ははあと、学者は納得する。仕事の話題を振った時、女勇者が一も二も無く引き受けた理由はそうであったか。
 内情をバラされたロザリーは恥ずかしさと怒りから赤面し、スタンの耳を引っ張り寄せ早口でまくし立てる。
「仕事が見つかり難いのは誰のせいだと思ってるの? この影さえ普通なら私は引く手数多なのよ!」
 彼女は自信たっぷりだ。そしてその勢いで続ける。
「大体ねぇアンタが今食べてるその、昼間っから胃がもたれそうなくらいの量のご飯代、誰が払うと思ってるの!?」
 魔王の前に並べられた皿の数を小声で指摘する。だが、声が小さいと思っているのはロザリー本人だけで、向かいに座る学者には全て聞こえていた。しかしキスリングは聞こえないフリをして、一人優雅に昼食代わりのコーヒーを口に運ぶ。食事代くらい持とうか、などとは言わない。研究費用第一だ。
 スタンは自らの耳を抓むロザリーの手を振り払い、指を突きつけ反論する。
「離せ、自己過大視型勇者! セコイ話をしおって。この余が、寂れた食堂の定食に甘んじてやっているというのになんだその態度は。本来ならば、余の食事は三食とも縦だか横だか見分けがつかぬほど分厚いステーキ肉と……」
「ああもう、聞くだけで嫌になるわ! アンタは黙ってなさい!」
 睨み合い火花を散らす自称大魔王と自称売れっ子予定の女勇者の、両者が黙った絶妙なタイミングで学者は間に割り込んだ。
「白熱しているところ申し訳ないが、塚穴にはこのメンバーで向かうのかね」
 女勇者は我に返り、慌てて体裁を取り繕う。
「あ、そうですね。ルカ君も連れて行って大丈夫だと思いますけど」
 ロザリーの引きつった笑顔に、隣のスタンがあからさまに毒づいている。
 女勇者の案に、戦力には全く事欠かないにしろ、その方が色々と無難だろうと、キスリングは相槌を打った。


 翌朝になって、マルレイン一人を街に残し、ルカ、スタン、ロザリー、キスリングは件の塚穴へと向かった。
 女勇者が請けた依頼にどうして協力せねばならないのかと魔王はゴネたが、女勇者曰く「一番食べる奴が一番働きなさい」
 納得のいかないスタンはなおも食い下がろうとしたが、協力すれば三食保障、というまさにエサをぶら下げられては引き下がるしかなかった。渋りきった様子であったのは言うまでもない。
 四人は街を囲う岩山の絶壁沿いを、吹き付ける強風に逆らい、落石に注意しながら進んでいく。皆の最後についていた少年は、街の出口でいつまでも少女が見送っているのを気にかけ、度々振り返っている。
「彼女だけ置いてきて良かったのかね?」
 しんがりの遅れに気付いたキスリングが立ち止まって尋ねた。前を行く魔王と女勇者は、またしても何事かを言い合い圧し合い騒がしくしているために、後方には気づいていない。
 ルカは歩調を速め追いつくと、学者と並んで歩き始めた。
「一緒に来るかなって思ったんですけど……待ってるって」
 もう一度振り返ると、緩やかにカーブした岩壁がいよいよ彼女の姿を隠そうとしていた。
「あーっ!」
 突然ロザリーの声が響いた。
 ルカは驚いて前を向き、足を止める。学者も何事かと目を丸くさせ立ち止まっていた。前方の二人も歩くのを止めて、何故か手にはお互い紙切れを掴み睨み合っている。一体どうしたのか、と聞く前にロザリーが口を開いた。
「どうしてくれるのよ、こんなにしちゃって!」
「貴様が大人しく渡さぬからだ!」
 怒鳴り合う二人の事情が飲み込めないまま、触らぬ神に祟りなしとルカは天を仰いだ。その横では飄々とキスリングが魔王と女勇者を観察する。
「どうやら、地図を破いてしまったようだね」
 スタンとロザリーの喧嘩の内容と、彼らの手にある紙切れから状況を把握し、やれやれと首を傾けた。先ほどからの小競り合いは、地図をどちらが持つか、というところだろうとまで推測してみせた。
「まあまあ、落ち着きたまえ二人とも。破れ目を合わせれば問題はないよ」
 あくまでも二人のとばっちりを受けないように、離れた場所から届いているのかいないのか分からないアドバイスを投げかけるキスリング。
「スタンが乱暴に引っ張るからよ」
「ハナから余に持たせていれば良かったのだ」
 両者は折れない。
 ルカは、ふとマドリルのギャング団を名乗る子ども達の頭領二人を思い出した。あの二人もこんな大人になるのではないかと、関係ないのについ心配をしてしまう。少年と少女は――少なくとも少年の方は――好意の裏返しなのだから、まだ良いのかも知れない。
 だがこの二人は、と喧嘩を止めに入る隙を見せないオバケの総大将と日傘の勇者を呆れて見つめる。
 お互いに、腹の底から嫌っているなら寄り付かなければいいのだ。そうしないのは、そうではないからかも知れないが、少なくとも喧嘩が絶えず起こるのがわかっているなら距離をとれば良いではないかと、そう思う。
 それとも、互いに遠慮がなくても良い相手なのだろうか。それとも、容赦したくない相手とでも言うべきか。
 他者との距離を感じやすく、誰からも一歩引いた位置に立ちがちだったルカにとって、それはかつて羨ましくも思えていた。
 破れた地図のことから移行しつつある喧嘩の内容を、右から左へ素通りさせてぼんやりとそんなことを考えていると、見かねた学者が止めに入った。
「スタン君にロザリー君、体力は温存しておいてくれたまえ。古い墓場なんてオバケちゃんたちの恰好の溜まり場になっているに違いないのだからね」
 白衣の学者の声に、渋々といった様子で――しかし、お互いかなり恨めしそうな目つきで睨み合ったまま――スタンとロザリーは喧嘩を止める。
 その様子を見て、満足そうに頷くキスリングに、ルカは離れた二人に聞こえないように呟いた。
「キスリングさん、もしかして、戦闘要員の心配だけをしてるんじゃ……?」
「キミも言うようになったねぇ」
 軽く笑って、学者は魔王と勇者のもとへ歩み寄り両者から紙切れを取り上げた。そして、
「これは私が持つことにしようじゃないか」
と、有無を言わせぬ迫力の、底の知れない笑顔を二人に見せた。

 キスリングの誘導で辿り着いた空洞の入り口と、周囲を満遍なく見回して「これが墓なんですか?」と、ルカは誰ともなしに尋ねた。
 マドリルから続く岩壁の一段窪み低まった場所、木々が鬱蒼と茂ったその奥に、大人二人が並べばつかえてしまいそうなほど小ぢんまりとした入り口が、そこにあった。
 すぐ前を通ったとしても容易には見つけられないだろう、石の扉には、それを覆うように生えた苔が、周りの草とほぼ同化していた。
 塚穴の入り口は、左右と上部を岩の柱で支えられ、そこには奇妙な彫り物が施されている。人工的なものであることは明らかだった。しかし、苔生した様ではかつての意匠の荘厳さもなにもなく、ただその辺りに転がっている石となんら変わりなく、ただの大きな岩でしかない。
「昔のね、おもに身分の高い人間が生前に作らせた墓のことを言うのだがね」学者は興味津々といった様子で岩柱を観察している「ここは、マドリル二階の住人たちの共同墓地として使われていたらしいのだよ」
 墓場の蓋を横に押し開け、学者の解説は続く。
「もっとも、別の場所に埋葬形式が変わってから、忘れられてしまったようだが……」
「深さも、なにも分からないんですよね?」
 ロザリーが目を細めて塚穴の奥を見通そうとする。だが、中は全くの暗闇だった。
「ああ、うん。私も世話になっている研究所の研究員の一人が、偶然古い文献を見つけたのを借りてきただけだからね」
 でも詳しいことは一切分からなかったよ、と付け加える。逆に、何の情報も無いところに興味を引かれ、キスリングは仲間を連れてやってきたというわけである。
「入ってみれば分かることであろうが、とっとと行くぞ。――にしても天井が低いな」
 スタンは入り口の天井に手を掛ける。
「じゃあ、ペラペラに化ければ? あ、これだけ暗いと出て来られなくなっちゃうかしら、ねぇ?」
 長躯を折って入り口をくぐろうとするスタンの背中に、ロザリーはたっぷりと皮肉る。しかし、ロザリーの予想に反して、肩越しに振り返ったスタンは意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「貴様こそ分かっておらんな。日傘を差すスペースが無いのだぞ、どうするつもりだ? んん?」
「――スタン、背中向けてる時にそんなこと言うと、鋭い痛みがアンタを襲うわよ」
 目を据わらせた女勇者が、日傘をたたんで魔王の背後に立つ。一瞬でその影が鮮やかなピンクに変わるが、今更それを笑う人間もいない。少年にしてみれば影が女勇者と同じようにピンクになってしまった妹がいるし、何より以前彼女の影に関わって命を取られそうになったことさえあるだけに、二度とその話題には触れずにいたいのだ。
 しかし、そんな恐怖体験のない学者は日傘で隠れてしまうピンクの影の仕組みが興味深く感じられるらしく、まじまじとロザリーの影を見つめた。
「いや、ホントに不思議だね」
 一種のトラウマであり、逆鱗でもあるピンクの影に注目されていることに気付き、ロザリーは苛立ち始めた。
「な、に、が、で、す、か」
 振り向いて、ゆっくりと一文字ずつ区切って、はっきりと発音する。明らかに怒りを含んだ彼女の表情に、自分が睨まれたわけでもないのに、ルカは素早くロザリーから目を反らした。下を見てはいけない、影を見ていると思われる。
「日傘を差すと日傘の影が出来、君の影が隠れる……というのは分かるよ。しかしだね、ロザリー君、キミは考えたことはないのかね?」
 そこでキスリングは、ロザリーが左手に提げている日傘を指差し、
「私は、日傘はキミの持ち物だというのに、何故、それだけが黒い普通の影のままなのかということが不思議だといいたいのだよ。――もし本人の持ち物は影響しないのならば、着ている物の影だって変わることはないはずじゃないかい? この地面に落ちている影だって、衣類の部分は黒で然るべきだというのに、しかし事実としてキミの身に着けている物の影はピンクに変わってしまっているわけだ……」
 怯むことなく――おそらく女勇者の怒りに気づいていないのだろう――キスリングは呑気に、もっともな疑問を口にした。そして彼女の足元から首の辺りまでを、下から上、上から下へと影も含め見、考察を始める。
「もし、ロザリー君が着替えたとしても、それでも服の影はピンクになるわけだ……とすると、やはり日傘だけが色が変わらないのはおかしい……――いや、彼女が触れるもの全てがピンクの影になるわけでもないのだから、彼女自身との接触率が問題とも考えられるかな、でなければ彼女が触れている間中、建物や彼女以外の生き物の影がピンクに変わることになる――他にもピンクの影へと変わる影響力がそこまで及ばないということも――」
 ロザリーの影を見つめたまま学者は分析を続ける。観察と考察の対象にされた方は堪ったものではない。奇異の目で見られることはあっても、ここまで妙な関心を持たれるのも居心地が悪く、女勇者は泣きたい気持ちになってくる。
 沈黙してしまったロザリーを見て、このままでは彼女の怒りが爆発してしまうのではないかとルカは焦り始めた。同じくそれまで、思考を垂れ流す学者を半眼で眺めていた魔王が、痺れを切らした様子で石畳をつま先で叩きながら口を挟む。
「いつまで下らん独り言を続ける気だ」
「おや、下らないとは心外だなぁ。しかし、ふむ、そうだね。この問題はまた後ほどにしておこうか」
 無下にされ不服そうな顔をしては見せたが、キスリングはあっさりと同調する。しかし、スタンの眼光の効果、というわけではなさそうな軽さであった。
「そんなもの誰も取り合わぬわ」
 そう吐き捨てて、スタンは石の門をくぐる。続いて、密かに自分の不運を嘆いて肩を落とし気味のロザリー、オバケとの新しい出会いを楽しみにキスリング、すでに帰りたい気持ちでいっぱいのルカの順で塚穴の中へと入っていった。
 塚穴の中に明かりはなく、狭い入り口からの光源だけでは、薄っすらとしか広さは分からない。
「なんだ、中は結構広いじゃない」
 入ってみれば高さも通路幅も、入り口より随分と余裕のあるものだった。四方は入り口と同じくして石の壁、だが長い年月をかけてだろう、床壁天井ところどころ木の根が侵食しており、土の進入も見られる。
 ぼんやりと見える塚穴の中を見回して、ロザリーは日傘を広げる。それを見て、魔王は眉を顰めた。
「差す必要はなかろう?」
「そんなこと言ったって、明かりを点けなきゃ先に進めないでしょう」
 いちいちそんなことを言わせるのかと言いたげな目で、ロザリーがスタンを見る。明かりを点ければ、当然そこには影が伴う、ということを言っているのだ。
「それよりも、ほら、明かりくらい出しなさいよ、無燃料松明魔王サマ?」
 こういう時だけはアンタだって役に立つんだから、と女勇者は指先で魔王を軽く小突いた。
「戯けたことを抜かすな、誰が松明だ、誰が!」
 言い放って、スタンは一人先へと歩き出した。暗闇でも夜目が利くのか普段と変わらぬ足取りだ。
「ちょ、ちょっと! スタン!?」
 パーティから離れて周囲の黒と同化してしまった闇色のスーツを、慌てて追いかけようとして、そこで女勇者は呼び止められる。
「待ちたまえロザリーくん。明かりが無いと危険だよ」 
「ランプ用意しますね」
 ルカは背負った布袋を下ろしてその場に屈んだ。
 女勇者は、荷物袋の紐を解いている少年を尻目に、通路の奥の暗闇をじれったそうに見ている。
 少年は火口を入れる筒状の容器を取り出し、その蓋を開けようとするが、ブリキ製の古いそれはどこかが拉げてしまったのか簡単には開かなかった。指先に力を入れ捻るようにして蓋を引っ張る。しかし、それでもなかなか開かず、少年は渾身の力を込める。一瞬のちに間の抜けた音をさせて勢いよく蓋が外れた。
 少年は、仰け反りひっくり返りそうになるのを踏み止まった、が、そこからが悪かった。
 踏み止まった際に、火口入れから半端に使われた蝋燭が数本飛び出し落ちて、石の床を四方へと転がってしまう。
「ちょっとちょっと、何やってるのよルカ君」
「す、すみません!」
 女勇者の口調は怒ったものではなかったが、反射的に謝りながら散らばった蝋燭を追いかける。ルカの視界の隅で、拾うのを手伝うためか、少し奥に居たロザリーが戻ってくるところが見えた。キスリングは足元に転がってきた一本を拾い上げたところだった。
「そこにもあるよ」
 学者に指摘されて薄暗い通路脇を見れば、確かに一本の長い蝋燭が落ちていた。屈んだままの姿勢で、四足で歩くようにして腕を伸ばし蝋燭を取った。その拍子に、伸ばした手へと体重を移す。すると、そのまま床に、まるでそこにあるように見えなかった一ブロックとともに、体を支える腕が手首の辺りまで沈んだ。
 つんのめった恰好のままで、嫌な汗が流れる。
 昔よく読んだ冒険譚にお馴染みと言えるほど描かれた場面が思い出された。
 そして同時にルカは、どうしてこんな仕掛けが墓に……と、状況に的確ながらも場違いな、冷静な自分の声を頭の中で聞いた気がした。
 少年が膝をついたまま固まっているのを不思議に思い、女勇者と学者は顔を見合わせる。
「どうしたの、ルカ君?」
 声を掛けられて、少年はゆっくり振り替える。床から離された手は重いものをやっとのことで持ち上げるような、そんな様子だ。
「……あの、ごめんなさ……」
 ルカが謝りきる前にそれは来た。
「おや、何か聞こえないかい」
 小さく何かが軋んでいるような音が、断続的に響いている。その音は徐々に、大きくなってくる。少年はどこかで聞いたことのあるような、だが何の音だったのかは上手く思い出せないで、ただ不安ばかりが音とともに膨らんでいく。
「この音――歯車?」
 言われて、マドリルの巨大歯車の音に似ているのだと思い至った。音の答えを出した女勇者は音の出所を探るように、壁や天井へと視線を巡らせる。しかし、それは叶わなかった。
 少年、女勇者、学者が、揺れたと感じた瞬間に、彼らの居る通路の足場がそれごと、支えを失ったように身の丈分ほど落下して、さらに斜めに傾いた。
 突然のことで、欠片も事態を把握出来ぬまま、三人は、おのおの声を上げながら、何処へ続くか分からない石畳を、滑り台よろしく落ちていった。



 歯車の動く音と通路の落ちた音は、先を行くスタンの元まで響いていた。
 何事かと立ち止まり、音の聞こえてきた方向を探る。
 古い墓の調査などという辛気臭い仕事に――しかも勇者の仕事に――同行させられ、ただでさえ気が立っているというのに、学者の独りよがりで意味の無い論議に時間を食っただけでは飽き足らず、先へ進んだのは良いがいつまでも追いついてこない依頼人と女勇者と子分のせいで、いっそう機嫌を悪くしていたところだ。
 そこに後方から歯車の音。それに続く腹にくるような重みのある振動と音。異常を感じたスタンは、苛立ちから奥歯を擦り鳴らすと踵を返して来た通路を戻って行った。
 連れ達を置いて歩いてから、然程の時間も過ぎては居ない。そのはずであるのに、角一つ折れ曲がった一本道を戻っても少年、女勇者、学者の三人組に会うことなく入り口まで戻ってしまった。
 ここで誰も居なければ、三人してグルになり自分を冷やかしでもしているのだろうと思うところであった。しかし、入り口からの光を背に、一つ、線の細い影が立っている。逆光で表情こそ見えないが、紛れもなく見知った姿である。
「――おい、何故貴様がおるのだ」
 因縁をつけるような目つきで、背の低い影を見据える。光に目が慣れてくるとその影の表情が見え始めた。
「答えぬか、小娘」
 ベージュのワンピースとブーツ姿の髪の長い少女に対して、八つ当たりとも取れる口調で命令する。少女の赤い瞳は揺らいで、また、顔は青ざめているように見えた。顔色の悪さは、彼女の顔にかかる影のせいかと思えたが、胸の前で祈るように組んでいる彼女の震えた手がそうでないことを語っていた。しかし、だからといってそれを気に留めたりはしないで、スタンはさらに詰問するかのように尋ねる。
「あいつらはどうした。外か?」
 黙ったままで、マルレインは首を左右に振った。――ならばどこに、そう続けざまに聞こうとすると、少女がやっと口を利いた。
「凄く、大きな音がして、そしたらすぐにルカや皆の声が聞こえて……中を覗いたら、誰も居なくて―――スタンはどうして一人なの、皆はどうしたの?」
「声だと?」
 少女の質問には答えずに、魔王は眉間に皺を寄せた。
「「わー」とか、「きゃー」とか。すぐ聞こえなくなったんだけど」
 事態を飲み込めず戸惑った様子で、マルレインはただ不安そうに視線を落とした。
「――どういうことだ?」
 そうスタンが独りごちた時である、彼が今戻ってきた道から微かに声が聞こえた。
「―――坊ちゃま、スタン坊ちゃま〜! お困りのときはこのジェームスめをお呼び出し下さいと、何度も申しておりますのに〜」
 間延びした、それでいて聞き覚えのある声の主は、自らが名乗ったとおりの魔族であった。
 くたびれたタキシードは暗い通路からその雰囲気にそぐわない軽やかなステップとともに現れ、主へと頭を垂れた。
「ジェームスよ、お前は何か知っておるというのか」
「ワタクシが思いますに、お三方はおそらく仕掛けられた罠に填まってしまわれたのではないかと」
 片方の眉を跳ね上げる魔王に、咳払いを一つしてから執事は意見を述べた。
「どうしてお墓に、罠なんかがあるの?」
 主従の会話に割り込まれ、スタンはあまりいい顔をしないでいる。しかしジェームスは丁寧に少女の方を向き、これに答えた。
「それは、墓荒しなどへの対策でしょうな。おそらくはですが」
 なんとも頼りない言葉であるが、少女は一応納得した様子で「そう」とだけ呟いた。
「間の抜けた連中だな」と、スタンは呆れ息を付く。
「助けに行かなくちゃ」と、マルレインは慌ててスタンを見上げる。
 ほぼ同時だった。
 魔王は面倒くさそうに少女を見ると、彼女は、今にも泣き出しそうな、それでいて決意をしたような、不思議な表情をしている。
「まあ、手っ取り早くいくのでしたら、お三方と同じ罠にかかるのがよろしいかと……とと、それではワタクシこれにて失礼させていただきますぞ」
 ジェームスはマルレインの後押しをしたつもりなのだろうか。逆効果にもなり得るとんでもない提案をするだけして、誰某との約束が、なんとかかんとか云々と、独り言を残して、現れたときとは全く違った急いだ様子でどこかへと消えていった。
「何が楽しくて人間の作った罠なんぞに、余がわざと掛かってやらねばならんのだ」
 非常に不満そうにスタンは、執事の消えた方へと吐き捨てた。
 第一、どんな罠かも分からない上、どう作動させるのかも分からない。
 罠にかかるほうが悪いのだ。あの連中ならば殺しても死にそうにない。自力でどうにかしそうではないか。また、仮に助けに行ったとしても、そこで少しも参った様子がなくケロっとされていても腹が立つ。と、そんな我侭な考えから、魔王は率先してこの状況をどうにかしようという気にならないでいた。
「どうしたの? 早く探さないと…!」
 マルレインは壁に張り付くようにして、変わったところがないかと調べ始めている。
 ――まあ、あいつらに貸しを作ると思えば……。
 必死になって罠を探している少女を眺めながら、スタンがそう思い始めた頃、複数の魔力と気配が入り口の外から感じられた。見ればいつの間にか――学者が居れば喜び飛びつく勢いの数の――オバケと称される下級魔族が集まっていた。
「おい、小娘―――」
「え?」
 壁を撫でたり叩いたり、木の根を引っ張ったりとしていたマルレインは、外の様子に気付いておらず、突然声を掛けられ言葉を聞き取れず、きょとんとした様子で魔王を見た。
 近い場所で彼らに背を向けている少女を恰好の的と判断したのか、オバケたちは何の前触れもなく塚穴の中に飛び込んでくる。
 下級魔族の突然の行動に、スタンは舌打ち一つ、マルレインの腕を掴み、引きずるように少女を後方にやると、彼女と場所を入れ替わり、迫り来るオバケに魔力を込めた拳を叩き付けた。
 たたらを踏んだマルレインが振り返ったときには、床に打ち付けられたオバケが跡形なく消えてしまった後だった。魔王の背中越しに見た墓場の出口は、下級魔族が群がって、入ってくる光源も徐々に少なくなりつつある。
 容赦の無い一撃に霧散する同族を見て、オバケたちは無闇に襲い掛かることは止めた。だが、逃げ出すこともしようとしない。一定の距離を保ち、こちらを威嚇するように体を震わせている。
「うざったい奴らだな」
 虫の居所の悪い魔王は唸ると、オバケを一掃させるべく魔力を掌に集中させる。強大な魔力に大気が震える。
 だがそこに、それを止める手があった。後ろから彼の袖を引っぱり、
「ダメよ、崩れるかも知れない」
 そうマルレインは天井を見上げる。
 古い作りの石壁は、木の根に侵食されて脆くなり、スタンの魔力に耐えるだけの耐久性があるようには見えなかった。崩れれば、どこか別の場所へ消えてしまった三人ともども生き埋めになるだろう。
 スタンは再度、舌打ちする。しかし、判断は早かった。
 牽制のため魔力の炎を放ち下級魔族を足止めすると、マルレインを小脇に抱え、そのまま空間の歪へと消えた。オバケたちは炎を越えて行くわけにもいかず、何処かへと消えた標的を追うことも出来ず、その場で浮遊し戸惑うばかりであった。
 スタンとマルレインは、そのオバケたちより少し離れた場所、通路を曲がってすぐのところに現れる。先ほど、スタンが歩いていた辺りだ。入り口からは死角のため、彼らからもオバケの姿は見えないが、奥に進んできた様子もないため、スタンはマルレインを下ろした。
「ど、どこ?」
 突然の暗闇に、視界を失って少女は声を上げた。
「静かにしろ、それほど離れておらんのだぞ」
 マルレインに声を潜めるように促して、「もう少し離れておくか」とスタンは歩き出す。置いていかれそうになった少女は困惑して、壁に片方の手を付き魔王の居所をもう片手を差し出して探る。
 スタンは一つ大きく息を吐くと、小さく明かりを作った。
「こっちだ」
 オレンジの灯を浮かせて、再びスタンは歩き出した。マルレインは唯一の光源を追いかける。
「ね…どうするの?」
 しばらく歩いてから、少女は声を潜めて尋ねた。魔王は振り返りもせず歩いている。
「そうだな……下級魔族どもが去るのを待つのも良いと思ったが、じっと待つのは性に合わん。先へ進むか」
 暗い一本道の通路は、はっきりとした階層がないようだった。ところどころに現れる階段と曲がり角で螺旋を描くように作られている。誰がこのように面倒な作りにしたのか不明だが、さぞかし埋葬時には手間が掛かっただろう。
「先って……でも、ルカたちは? 助けないの?」
 少女は振り返り、後ろにオバケの姿が見えないのを確認する。
「罠に掛かったのならば、案外この先に、底の方におるかも知れんぞ」
「本当に?」
 マルレインは顔を輝かせる。そこに、
「さあな」
 と、間髪入れず無責任に魔王は言い捨てた。マルレインは唇を尖らせ眉間に皺を寄せた。
「そういえば、小娘。お前が何故ここにおるのか、まだ聞いてなかっ……なんだその顔は」
 少女を振り返り見下ろして、睨まれていることに初めて気付き、足を止める。
「この墓は、余が作ったわけではないのだぞ、構造が分かるわけがなかろう」
「だからって、そういう言い方って――」
「確信のないことに、いちいち期待する方が悪いのだ」
 諌めるような口調のマルレインの言葉を遮り、腕を組んだ。
 オレンジの小さな炎を挟んで二人は向かい合っている。
「それよりも余の問いに答えぬか」
 声に苛立ちを混じらせてスタンは半眼になり、ふてり気味のマルレインを睨んだ。
 そこらの大人なら大抵、萎縮させてしまいそうな強面で目つきの悪い黒スーツの眼力も、日頃の言動さえ知っていれば全く恐ろしいものではないのであろう、怯えることなく少女は真正面から唇を真一文字に結んで魔王を見上げる。
 だが、ふいに視線を落とした。
「――それは……ごめんなさい。こっそり後から追いかけて来たの」
 スタンへの反抗心だけではなく、黙って付いて来た事への気の咎めからの表情なのだろう、マルレインは眉間に小さく皺を作っていた。
「自分で残ると言ったり、付けて来たり、訳の分からん小娘だな」
 スタンは遠慮なく率直過ぎる意見を述べた。嫌味でも非難でもなく、ただ単に思った通りを口にしただけである。
 先ほど急に現れたオバケたちも、もしかしたら独りでいたマルレインを狙って集まったのかも知れないと、口から出た言葉とは別に、そんなことを考える。
「……うん、でも……」
 マルレインは言い淀む。はっきりとしない物言いは、どことなくかつての影の薄い少年と似通うところがあるように思えた。
「足を引っ張っちゃうから、それじゃいけないと思って……でも、心配で……」マルレインの睫の影が瞳に落ちる。「引き返そうと思ってたのよ、皆がここに入っていくのを見届けたら……そしたら声が聞こえて」
 言葉を切るマルレインに、呆れたスタンは口端を歪めた。
「足手纏いになるのが嫌で残って、それで後を付けてきては意味がないのではないか?」
 スタンはあさってに視線を向けて自らの顎に手を掛ける。やはりこれも、マルレインを責め糺すような意図はなさそうであった。
 今一つどころか、全くマルレインの行動を理解出来ないで頭を捻っているスタンとは対照的に、マルレインはすっかり項垂れてしまっている。
「だって、このままじゃ前となんにも変わらないわ」
 少女の声は小さく掠れていた。
 ここしばらくのマルレインは、少年の家に厄介になり普通の暮らしを楽しんで、過去閉じこもっていた時間を少しずつ忘れようとしていた。実際、彼女の毎日は、居候としての家事の手伝い、他愛のない世間話や日々の出来事のお喋りと、単調ではあったが少なからず変化はあり、忙しく目まぐるしく、それでいて充実感のあるものだった。
 そんな折、持ち上がった冒険の話。冒険というよりは、当てのない旅ではあったが、彼女にとってはこれまでにない大冒険になるだろうと、期待に胸を膨らませていた。
 しかしながら、これまでただ守られていただけの少女は、ルカやロザリーのように剣が扱えるわけでもない、スタンのように魔力を駆使して敵を薙ぎ払えるわけでもない。せいぜいが後方で荷物を抱え、彼らの邪魔にならないよう控えているしかないのだ。肩身の狭さに下唇を噛み締める。マルレインの意気込みは見る見るうちに萎んでしまい、旅の連れの中に自身をどう置いて良いか分からなくなってしまった。
 少年はいつも通り優しく声をかけてくれる。
 女勇者は何かと気遣い世話を焼いてくれる。
 魔王は何の干渉もない。
 三者三様のこれは、少女が役に立とうが立つまいが、なんら変わりはないだろう。
 しかし、だからといってマルレインの気持ちが休まるわけではなく、また誰かに悩みを打ち明けるわけでもなく数日を過ごしていた。
 思えば、分類を打ち破った際にも、自分はその場には居なかった。それを成し遂げたのは、分類に縛られない少年と、その彼に感化され自我と意思を確立させ貫き通した彼らに他ならない。
 泣きながら、弱音を吐いて怯えて、ある時ふいに騒がしくなった外に扉を開いて踏み出した。不思議と恐怖感はなく、軽くなった気持ちと、ただ一心に会いたいと願っていた少年への想いから、彼の家を訪ねた。道中、道を尋ねた人、すれ違うだけの人、誰も彼女が見えないということはなかったが、同じく少女を"王女だったマルレイン"と知る者もなかった。まるで、最初から"王女"など存在しなかったかのように―――いや、事実王女という存在そのものが人々の意識に植え付けられた幻想だったのだから、当然といえば当然なのだろう。そんな中、少年だけが少女に気付き――もしかすれば、長らく分類から外れていた者ならば気付くのかも知れないが――、彼はひとつだけ、頷いてみせてくれた。それがどれほど嬉しかったことか。
 しかし、結局のところ、マルレインは何もしていないのだ。彼女は何も変わっていない。
 いや、一つだけ、少年に会いたい、会いに行く、その意思だけは、自分のものだった。それは最初の一歩だっただろう、しかしそこからは足踏みばかりのような気がしてならない。
 意思はある。
 ただ、方法が思いつかないのだ。
 その理由に甘えるつもりはなくても、結果として甘えている。焦りは募るばかりであった。
「何か言ったか?」
「う、ううん」少女は頭を横に振って、取り繕うように続ける「それより、お礼言うのがまだだったわ。さっきは助けてくれてありがとう」
 少なくとも感謝の気持ちは本物で、少女は微笑んで見せた。
「まあ、今、貴様にどうこうなられると困るからな」
 礼を言われて、満足げに口端を吊り上げスタンは歩き出す。
「え?」
 予想だにしないスタンの返答に、マルレインは瞬き、瞳を大きくさせた。スタンは肩越しに振り返る。
「貴様がルカのガキをこさえぬと、余の子分が増えぬだろう」
 子々孫々従えるつもりらしい魔王の顔は、至極当然と言わんばかりの平然としたものだった。



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