古本探偵団(1950〜)

 

科学画報

誠文堂新光社刊1952年3月号(200円)

朝鮮戦争当時の米空軍の様子

朝鮮戦争(1950〜1953休戦)の余波を受けて急遽特集された本のようです。はしがきに米軍から資料の提供を受けて云々との記述があります。で、朝鮮戦争でのコルセアやスカイレーダーの写真が巻頭を飾っているのですが、もろに戦争の写真を取り上げるのはいささかためらいがあったようで、はしがきが言い訳めいている。“われわれは心より平和をのぞむものであるが、(中略)実態をつかむこともまた必要である”なんてね。科学画報ということだから航空機専門の雑誌ではないと思うのですが、出版元の誠文堂は戦前にも「航空の驚異」を出版していますね。本号は頭から尻尾まで飛行機(米軍機)の話だけでまとめられてます。いったん敗戦で途切れた(多分)航空専門誌の穴を埋めていたのかもしれないね。1952年当時の米軍機の話題ですから、Fナンバーは93までで、超音速機のセンチュリーシリーズは陰も形もありません(F-100の初飛行は1953年)。記事中では超音速飛行について触れられているんですがね。戦争が終わって7年経ってジェットという言葉については広まったようで普通に使われていますが、ミサイルは誘導弾という日本語が当てられています。そういえばB-61マタドール(当時)を無人爆撃機と解説しているというのはいささか勇み足というかミスリーディングを招くように思える(本当はミサイルです)。無人爆撃機ってUAVかよ!ミサイルという概念が一般に広まっていなかったということでしょうか。Bを冠しているのでその通りに解釈すれば爆撃機だし無人で飛んでいくのだけれど、いったん離陸(発射)したら着陸することのないものなのですよ!なんかよくわかっていない人が書いている感じで隔靴掻痒です。またB-36の解説で“巨大な操縦盤(この操縦盤はかつての重爆B-24リベレーター機の主翼面積に匹敵する!)はその架縁に施されたボタンを押すだけで、他に特別な動力を用いずに操作されるようになっている”というのは明らかな誤訳ですね(原文に当たっていないけれど)。操縦舵面面積がB-24の主翼面積に匹敵するということと後縁にサーボタブがあって人力操舵を可能にしていたということでしょう。おまけに筆者が注をいれて“近代大型機の操縦は(中略)尨大な操縦盤の間を駈けまわってコントロールするらしい”と書いているのも傷を深くしているね(モグラたたきゲームを想起します)。この辺が専門誌でない限界かとも思える。ま、私がこんな偉そうなことを書けるのも、航空専門誌を読み漁ってきたからなのですが。やっぱり出てきた原子力飛行機の構想。GEとコンベアが開発に乗り出したそうです。アメリカでは今よりもっと無邪気に原子力に夢を持っていたのだな。結局B-36に原子炉を載せて飛行させただけで終わりましたが(ほっ)。WW2が終わって7年の1952年、大戦機であるコルセアの末裔が空母にいた頃に、B-52の試作機が飛ぶ(1952年初飛行)という話題が載せられている。そのB-52の末裔が21世紀になってもまだまだ現役というのは、歴史はつながっているんだなという感じがしますね。