古本探偵団(1930〜)

図1:空中聴音機

 

航空の驚異 科學画報臨時増刊

新光社刊 1932年(1円50銭)

まだ平和な時代に飛行機を科学する本

書影を見てもらっても分かるけれど本の作りがとても良い。紙質も印刷もとても昭和7年(1932年)とは思えない。世界恐慌や中国できな臭いもめ事があったにせよまだ余裕があったということだろうか。科学画報臨時増刊ということで航空機の科学的側面にフォーカスした編集で、いいのかって思うほど専門的です。それもそのはず、ちゃんと学問を修めた先生方が寄稿されています。それではつらつらと昭和7年の航空界の状況を眺めてみましょうか。現在常識となっている航空機の技術アイテムの多くが、この頃に存在(試験中であったりコンセプトだけであったりするにせよ)していたことが興味深い。ターボチャージャー、高揚力装置、可変ピッチプロペラ、ヘリコプター、ロケットエンジン、与圧室、引き込み脚等々。その一方で全く姿を現していないものもある。レーダー、ジェットエンジン、可変翼、複合材、そして原爆。単純に想像の範囲外だったと言うことか。また、今では常識となった技術アイテムの優劣が未決だったこともある。複葉vs単葉についてはまだ決着が出ていなかったようだ。曰く、複葉の方が格納庫の広さが節約できる(!?)とか。確かに当時は単葉と複葉で勢力を2分していたしね。モノコック構造vsスペースフレーム構造、金属製vs木製も、両方ともそれなりにいいところがあるよなって書き方になっていて時代を感じる。今では絶対的な性能を求める機体には迷うことなく金属モノコック単葉だよな。飛行の原理を説明する章で、翼周りの循環云々という話に絡めて野球のカーブの原理にも触れている。当時野球は既にメジャーなスポーツだったということですね。調べてみると野球というのはプロ野球じゃなくて大学野球の、特に早慶戦だったようだ。現在では飛行機についての教科書では翼の平面形について、高アスペクト比の効力が説かれている(プラントルの揚力線理論)のですが、この本では結構難しい数式が書いてあっても高アスペクト比による誘導抵抗低減については記述がないんですね。要するに翼の平面型はどういうのが良いのかについては記述がない。ちょっと違和感があります。風洞の話でスケールエフェクトによって模型実験が実際と一致しないというのがある。曰く大きさと速度の積が違うからとのこと。これ現在では大きさと速度の積を動粘性係数で除したレイノルズ数で評価しますね、当時でもレイノルズ数は知られていたはずなんだけど。小川太一郎先生その辺の所どうなのでしょうか?エンジンのページは今読んでも違和感がない。あ、レシプロガソリンエンジンのことですよ。過給エンジンとかノッキング対策とかのアイテムが紙面を飾っている。レシプロガソリンエンジンについては当時既に技術的な利点や問題点が明らかになっていて、今はそれを洗練させていっただけなんだろう。ディーゼルエンジンにも章が割かれている。勿論自動車用のそれでなく航空機用のそれである。パッカードやユモを例に挙げ、曰く燃費が良く安全であるとのこと。当時の人はディーゼルエンジンによる長距離航空機の高性能化に大きな期待を持っていたんだね。でも今日の我々は大型長距離機用のディーゼルは物にならなかったことを知っている。この章でも技術的課題が有ると言うことが述べられているが、実際にも当時の技術では熱の問題を完全には解決できずに、遍く使用されることはなく終わった。というかジェットの方が後から来て追い抜いていったって感じ。もう一つの来るはずだった未来ということだろうか?この辺の話は「20世紀のエンジン史」(三樹書房刊)に詳しいので興味ある人は読んでみたらどうか(内容的にも結構ダブる部分がある)。ロケットの章には1000km/h飛行(!)には有効との記述があるが、ジェット(らしき物)についての記述はありません。ホイットルが特許を取る前だから当然か。ただ当時でも宇宙旅行にはロケットでというのが常識だったようだ。小説や映画の中の話ですが。ヘリコプターの章は興味深い。そもそも当時からヘリコプターという言葉があったということが驚き。まだ実験段階で実用化されたヘリはなかったのに。物はないのにそれを入れる器(言葉)が先に開発されているって言う感じ。それなりの馬力のあるエンジンでローターを駆動すれば垂直に離陸することは難しくないけれど(実際当時でも離陸には成功している)、コレクティブピッチもサイクリックピッチも無しには安定した飛行はおぼつかない。可変ピッチプロペラも実用化できていない頃なのでまだ時間が必要という感じ。その辺の解説もちゃんとしてある。当時の未来の飛行機という位置づけです。軍人でも忌憚ない意見を述べていたのが新鮮だ。陸軍少佐の野田政逸という人が空襲について述べたページがある。曰く、日本には木造家屋が多い、進入してくる爆撃機を捕捉するのは難しい等々。精神論に陥らずに非常に冷静かつ正確な記述で日本の都市の脆弱性を述べている。けれど特に有効な対策は立てられなかったようだ。昭和20年、焦土と化した日本を見て彼はどう思ったことだろうか。あとは小ネタを少々。空中聴音機というのが紹介されている(図1参照)。レーダーのない頃は敵機を察知するのに必死で空に向かって耳を澄ませていたんだね。いかにも役に立たなそうなガジェットだ。っていうか八木アンテナを開発できているんだからレーダー開発に注力しろよな。で、後で困ることになるのですが(泣)。
追伸 レーゾンデートルという言葉がある。存在理由という意味なのだけど、読売新聞の2010/12/26の記事によると昭和2〜20年に日本語に借入したとのこと。実はこの本にもレエゾンデエトルという言葉が出てきます。昭和7年というのは早い方かもしれない。