古本探偵団(1940〜)

  

航空朝日

朝日新聞東京本社刊1945年11月発行(80銭)

涙の終刊号

刀折れ矢打ち尽くしたと言う感じですね。かつて隆盛を誇った雑誌がわずか36頁、ざらざらの紙質。戦争について特に反省することもなく、拍子抜けするようなあっけらかんとした感じもあります。それが終戦時の空気なのでしょうか?最後に何とかけじめをつけたかったというところかも知れない(8月末発売の9月号はさすがに休刊。戦後は10月号を出してこの号となるようです)。グラビアはなし。メイン記事はかつての(わずか数ヶ月前)名機を作り出した設計者たちの座談会“日本航空かくて果つ”(出席者:堀越二郎(三菱)、久保富夫(同)、土井武夫(川崎)、中川守之(立川)、小川太一郎(航研)、木村秀政(同)、西脇仁一(同))。アルコールも入っていたのでしょうか?暗いトーンは感じられません。戦犯にならないことがはっきりした安堵感か?ただ数ヶ月前まで絶対もの申すことのできなかった軍部に対する批判がちくちく(泥縄式に開発を進めた、現実をみないで生産計画を計算だけで決めた、無駄な試作機が多かった等々)。当時の技術者の正直な感想なのでしょう。戦争の是非といったイデオロギー的な話は出ずに、自らの仕事の詳細を述べている。それがテクノクラートというものか(厳密には官僚ではないけど)。戦後の教育を受けて育った私などはとりあえず戦争について反省を述べたくなるものだが。技術の現場ではキ番号で呼ぶことが一般的だったのが分かる(座談会は陸軍機についてのもの)。会話の中に飛燕なんて一言も出てこないでキ61だからね。今日語られる開発秘話というのもみられる。5式戦闘機の開発にFw190を参考にしたとか、百式司偵3型の段なし風防は実は抵抗軽減に寄与しなかった等。座談会の最後に予定を打ち切ってこの号で座談会を打ち切るとの断り書きが。海軍機編も読みたかったのにな。記事の最後に数ヶ月前まで秘密だった日本陸海軍機の要目一覧が載っている。GHQの検閲は大丈夫だったのだろうかなどといらぬ心配をしてしまうが。
さようなら航空朝日。
追記.
1945年7月号入手。31ページでグラビアなし。いったい何部くらい印刷されたのだろうか? それはさておきB29のレーダーについての記事が興味深い。書いているのは陸軍技術大尉で、冷静にレーダーの仕組みについて解説しているのですが、高度な技術を余裕を持って使うというアメリカのやり方にリスペクトすら感じているような書きぶりです。そして締めは“〜技術の貧困を、徒らに特攻隊の勇士の血によって償ふが如き無責任を敢えてしていないか、真摯なる反省を心に致すべきであらう”。取り様によっては軍部批判とも取れる様に思うのは私だけだろうか? もうこの頃にはいちいちこんな雑誌の記事に目くじらをたてる軍人もいなかったのか? 絶望的な状況の中で思わず出た心の叫びのようにも思える。
追記2.
1945年6月号,8.9合併号,10月号入手。8.9合併号の記事はもう書く事ないのかフライト誌の翻訳を載せている。いやいやそれよりも書くべき重大な話があるだろう。流石に10月号ではありし日の日本軍用機という事で主要な各機体の記事があるけどね。あと本質とは離れるのですが、6月号の広告には“戦ひ抜くために實費の保険”(千代田生命)というフレーズがあるのに8.9合併号では“復興貯蓄に無診査の興亜保険”(同じく千代田生命)と来る。この変わり身の速さがいやはやなんとも。