古本探偵団(1940〜)

  

飛行日本

大日本飛行協会刊1944年9月発行(50銭)

知れ 鬼畜敵機

アッツ、サイパン玉砕後。B-29の爆撃が本土を焼く尽くしつつあった頃の号です。広告の頁にもサイパンが玉砕した云々との記述があります。発行元の大日本飛行協会という組織については現在の日本航空協会の前身と言うことで、この雑誌も一般市民に対する啓蒙が目的なのでしょう。で、同じ飛行日本でも昭和18年頃ならば比較的客観的かつ冷静に原稿が書かれているようですが、この頃になると何かしらヒステリーめいた雰囲気が横溢しておる。既に啓蒙とは言えないよな。何しろグラビアのP-51に “鬼畜敵機”ですから。引いてしまうわなぁ。キャプションがまともなのが救いですが。これはほかの雑誌でもそうなので、もう時代の雰囲気とでも言うべきものなんだろうな。“航空決戦と電波兵器”と言う記事。海軍大佐の野崎某という人の書いたこの記事、電波兵器の重要性を示しています。当然のごとく皇軍が活用して戦果を挙げているという仮想戦記風に書いておるのですが、このように有効に電波兵器を使用していたのは実は“鬼畜”米英なんだよなぁ。新しい航空機用のエンジンとしてロケット云々という記事がある。よく読むとロケットという言葉の中に今日で言うところのジェットも入っていることが分かる。当時はジェットという言葉は日本語になかった、もしくは一般的でなかったということでしょう(ほかの雑誌をみてもそうです)。もし当時のことを描いた小説、映画などで普通にジェット云々と言ってたら、違ってる!と言ってやろう。
追伸。「飛行日本」昭和19年2月号に鍾馗を語るという座談会記事が載っていた。ま、当時のことだから出席者は批判的なことは絶対言わないホメイニさん状態なのだけど、それでも興味深い発言がチラホラ。設計者の内田誠太郎氏が、水平面だけの操縦性が求められる中で鍾馗には速度に重点を置いてその中で出来るだけの旋回性を求めるという設計コンセプトをはっきり示していたのが興味深い。設計者がはっきりと、当時の戦闘機乗りが求める旋回性は良くないけど速度は出るよって言っちゃってるんですね。で、或る国(ドイツに決まっているだろ)の武官が日本の操縦者がこの飛行機を乗りこなし得るならば、日本の操縦者は世界一といったというエピソードが出てくる。この件は鍾馗を語る上で定番となった話だよね。これがオリジンだろうか?その他にも水平尾翼よりも垂直尾翼の方が後ろに出ているのは射撃時の安定性のためだという設計上の秘訣も開陳されている(その代わり旋回時にはスリップするそうです)。