古本探偵団(1940〜)

  

國民防空

國民防空出版協会刊 1944年3月号 (35銭)

当時の防空とは?

入手したのは1944年3月号。B-29による空襲が現実味を帯びてきたので、急遽発行された本なのかと一瞬思ったのですが、実は1939年創刊なのですね。多分当初は大型戦略爆撃機による無差別空襲を想定していたのではなく、軍用機による何がしかの本土攻撃という、もやっとした危険に対する啓蒙が目的だったのだろうと想像します。ただ1944年3月にもなると既にB-29(及びB-32)という名前は銃後の日本でも知られていて、一応巻頭は第39回陸軍記念日(日露戦争の勝利から39年)なのだけど、空襲に対する対策と言うのがメインテーマとなっている。実際にB-29による本土空襲は1944年6月に始まったのであと3ヶ月しかない。そんなモラトリアムの期間に何らかの対策を講じなければというのが編集者の思いだったのだろう。ところが抜本的な対策というより、副木の作り方といった工夫とか生活の知恵レベルの話か防空監視に絡めた目の仕組みの解説といった、それを知ったところでどないせいっちゅうねんみたいな記事が紙面を飾っていて、今の自分にはぬるいぞ、無邪気すぎるぞと言いたくなるのです。だからといって今考えても当時の限られた期間とリソースで何か効果的な対策が講じられたかというと思いつかないのですが。あと当時のデフォルトの精神主義や米英をこき下ろすような論調はあえて採り上げませんが、飛行機趣味の人には“爆撃機の進歩と新戦術”という記事がある。その中に超重爆に必要な物として(1)発動機過給器の性能向上(2)プロペラ効率の向上(3)燃料の改良(4)気密胴体及び酸素供給装置の改良(5)精密な自動式爆弾照準装置又は遠隔操縦式の旋回銃砲(6)大口径機関銃、砲、或は多数の配置・・・これってB-29のことだよね。著者は意識して書いたのかわかりませんが。
日本軍のダメダメエピソードとして土木工事が機械化されていなくて滑走路なんかの設営にひたすら人力で行ったってのがあるけど、そもそもなんで機械化しなかったのかが疑問だった。この本の記事の中で、世界恐慌の時に失業対策として非効率な人力による土木工事を行ってそれが慣習化したとの記述がある。真偽の程は不明なれど頷ける話ですね。そうだったのか。
巻末には俳句や短歌のコーナーがある。戦時においても俳諧の精神を忘れないというのも日本らしいね。そんなこんなの工夫や努力や知恵や精神といったものも数ヶ月後には圧倒的な物量と技術力の前にほとんど灰燼に帰してしまうのです。合掌。
この雑誌、珍しいことに大阪の出版社なんですね。中部軍司令部監修とあるのでもろに御用雑誌ということなのだろう。この当時こういった形態の雑誌は多かったようです。