古本探偵団(1930〜)

図1:3式滑走機

図2:ライアンNYP2

図3:漢のスパッド

 
 
 

海軍雑誌海と空臨時増刊 写真日本航空史

海と空社刊 1935年(3円)

当時のstate-of-the-art

この本が刊行された昭和初期というのは急激に航空技術が発達して、それとシンクロするかのように日本もイケイケドンドンだったのですね。これは想像ですが、当時の人は飛行機の発達(特に日本機のそれ)日本の発展を重ねて見ていたように思える。この本も、そういう思いに応える形で刊行されたのだろう。発行が皇紀2595年ということなので95式ですね。今の我々には昭和10年で切り取った航空技術レベルの見本市という見方が面白いだろう。創生期からの機体の写真とそれに付けたキャプションおよび末尾の読み物(「日本航空発達史」)からなる構成。読んでいてまず思ったのはキャプションがイマイチ伝わらない点。全長全幅性能などが業務連絡的に記載してあって、だからどうなの?って感じ。つまるところ“評価”がないんですね。当時は今ほど忌憚ない意見が書けなかったんですかね?でもまだ機体名が秘密にはなっていなかったようです(94式水上偵察機など)。改めて黎明期の日本は本当に手当たり次第に外国機を購入して、試行錯誤を重ねてなんとか国産機を作れるようになってきたのがよく分かる。機体メーカとして大成せずに消えた飛行機製作者もいる(大正11年の陸海軍の機体払い下げ開始と大正12年の関東大震災以降に手工業的飛行機製作は影を潜めたそうです)。今となっては珍しい写真も多いように思うが、ひょっとして戦災で原盤が失われたものもあるかも。そういう意味でこの本は貴重だ。それはさておき、個々の機体について。3型滑走機(図1)というのが面白い。大正9年以降地上滑走練習機として使用したがまもなく廃止とのこと。そういえばスピードに慣れていない当時の日本人にはこういう訓練も必要だよなと思うのですが、これに乗って訓練生が滑走路を大まじめにトコトコ走っていたのかと思うとほほえましい。でもやっぱり駄っ作機の領域だよな(すでに飛行機でもないし)。(後で分かったのですがアメリカでも第一次世界大戦後に滑走練習機がはやったそうです→ローニング・キッチン。またヨーロッパでも一時流行っていたらしい。「航空ファン」74年6月号に、第1次世界大戦後にフランスから来た教官団がモラーヌ・ソルニエ式、ニューポール式、ソッピース式、スパッド式の地上滑走機を持ち込んだとの記述がある。日本でも作られたけどパイロットからは受け入れられなかったらしい。)民間機のページにJ-BACCと胴体に大書きしたライアンNYP2(リンドバーグの機体と同型)(図2)がある。昭和2年購入の大阪毎日新聞社所有とのことだが、記録飛行の後、こりゃいい機体に違いないって購入したんだろう。でも前面風防を潰したところまでリンドバーグそのままというのは実用上どうだったのか?例によって評価はないのですが。でもかつての日本にリンドバーグの機体と同型があったんだね。民間機のページの最後にDC-2が載っている。この本の他の機体(1935年当時)と較べると技術的先進性が際立っている。羽布張り複葉機が当然の時代に、全金属製、引込脚、可変ピッチプロペラ!ほとんどオーパーツだね。改めてすごい機体だったことを感じます。「日本航空発達史」(民間機の項は木村秀政筆)に面白い記述が。大正9年の第2回懸賞郵便飛行でフランス帰りの石橋勝浪氏がスパッド13(WW1の高速戦闘機)(図3)で優勝したとのこと(賞金1万5千円)。オーナーパイロットとのことだから自腹で購入した機体だろう。今でいうならF-15を自家用機にするようなものか。正に快男児!漢だねえ。